庫裏はクティかクティールか | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

お寺の奥さんのことを大黒さんと呼んだりするのは、お寺の台所に大黒天を祀っていることが多かったことからの隠語であって、面と向かってお寺の奥さんに「大黒さん」と呼び掛けるのは失礼だ。

一方で「お庫裏さん」という言葉も、やっぱり寺の台所を指す「庫裏」を預かる人ということで生じた呼び掛けだが、こちらはお寺の奥さんに対して直接使っても、決して失礼ではない。

但し、これはあくまで他人からの呼び掛けだ。住職一家としてお寺に入られた、全くお寺とご縁のなかった家族がおられるのだが、よく知らずに使っている言葉だったのだろう、奥さんが自分のことを「お庫裏でございます」と仰っておられるのを聞いたことがあるが、これはおかしい。

転じて住職やその家族の住居を指すようにはなったが、庫裏というのは本来はお寺の台所を指す言葉で、例えば塔頭の立ち並ぶような大きなお寺では、他の塔頭や僧坊、宿坊と区別して、住職の居住する建物のことは「本坊」と呼ぶ。

さて、インドで庵を指す「クティ」という言葉が仏教に入って、僧坊のことをクティと呼ぶようになり、パーリ語を経典語とするテーラワーダ仏教では、今でも僧坊のことをクティと呼ぶ。そして、クティという言葉の音写が「庫裏」なのだと考える人が、日本には結構たくさんおられるようだ。

三橋ヴィプラティッサ比丘も、そうではないかと私に仰ったことがあるが、私は必ずしもそうは言えないと思うと、その当時、疑問を呈したものだ。

他にも例えば有名な「タイの僧院にて」(青木保著・中公文庫・絶版)という書物の中に「クティ(庫裏)」という表記が出て来る。最新版をチェックしていないが「地球の歩き方 タイ」の寺院建築の説明ページにも、同じく「クティ(庫裏)」という表記があった。

もしも庫裏という漢字がクティの音写・音訳として成立した確かな証拠を示す文献があるならば、潔くそれを認めたいのだが、そうでない限り、たまたま音が似ているからみんながそう考えるだけであって、本当は「クティ」と「庫裏」の概念は似て非なるものではないかと私には思えるのだけれど果たして如何なものか。どなたか博学多才な方に、ご教示頂ければと願う。

※インドでは庵や小屋のことをクティもしくはクティールと呼びます。現在のヒンディー語辞書にも両方の語が載っています。詳しくは「アジアのお坊さん 本編 僧院と僧坊」をご覧ください!!

※昔、ブッダガヤ日本寺を訪ねて来た在家出身の修行したての年配の禅僧さんが、日本の山中に空き家を借りていましてね、私らは年金があるから悠々自適ですよ、空き家と言うか庵ですな、インドで言うところのクティールですな、などと得々と仰っていたことがある。「クティ」ではなく、「クティール」といっていたところを見ると、インドでこの言葉を覚えたのかな?

※私は私でその頃、「クティ」に住みたいと言っていたら、インド人に、本気ですか? インドで「クティ」と言えば本当の小屋のことですよ! と窘められた。ちなみにこちらはその後、ブッダガヤ近郊のコレシュリ山中で見た隠者のクティ。

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