自分と同じ天台宗のお坊さんに、一回目の結集って、いつ行われたんでしたっけ? そういうことに、あなたはお詳しいでしょう? と聞かれた。
残念ながら、そのお坊さんを含む多くのお坊さんと違って宗門の大学を出ていない私の仏教に関する知識は独学によるところが多いので、足りていなかったり偏っていたりで、そんなに詳しくはないのだけれど、確か1回目はお釈迦さんが亡くなってすぐではなかったですか? 何日後なのかは急にお答えできませんが、とお答えした。
その後、念のために「宗門大学を出ていない曹洞宗のお坊さん」に、結集についてどのくらいご存知なものか、お尋ねしてみたら、曹洞宗のテキスト「仏教概論」に載っていたくらいの知識ならある、とのご回答だった。
さて、ブッダが亡くなった後、その教えを散逸させず正しくまとめるために仏教教団(サンガ)が行った会議を「結集(けつじゅう)」と呼ぶのだが、第1回はブッダが亡くなった年の最初の安居期間に、存命であった錚々たる直弟子たちによって行われた。
インターネットに「およそ3ヵ月後」と書いておられる方があるのは、ブッダ入滅をいつと定めるかによって違って来るが、入滅のウェーサカ月と安居の間ということで、「およそ」を付けて「3ヶ月後」としたものだろうか。
数え方によっては丸2ヶ月とも考えられるが、どちらにしても最初の結集はブッダの亡くなった、その年に行われた。
第2回の結集はブッダ入滅の100年後、第3結集はアショカ王時代、第4回はカニシカ王時代に行われ、そして近代になってからミャンマーで行われた第5回(1871年)、第6回(1954年)の結集については、例えば「ビルマ仏教」(池田正隆著・法蔵館)などにも詳しく載っている。
また結集とは違うけれど、全日本仏教会も参加している世界仏教徒会議や、インドのブッダガヤにある印度山日本寺を運営する国際仏教興隆協会が成道会に際して「結集」と銘打ってインドで毎年行う国際会議などもあるけれど、これらについては長くなるのでまたの機会のネタにしたい。
とりあえず初めて私がブッダガヤ日本寺に赴任した時、ラージギルに法務で出張し、現地のインド人に、ここが第1結集が行われた七葉窟ですよと言われ、何のことだか分からなかったという思い出がある。
ブッダガヤに赴任して、あれが前正覚山ですよと言われた時も同様で、宗門校を出ていないというだけでは言い訳にならない程の勉強不足で、お恥ずかしい限りではあったのだが、とにもかくにも、そんな私がその後こうしてアジアで色々修行させて頂けたのも、本当にご縁・法縁あればこそで、有難い限りだなあと、「結集」のことを聞かれて、ふと思った次第です。

おしまい。
※写真はブッダガヤの中心部から見た前正覚山です。
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