アジアの偽坊主 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

つい先日(2017年4月)、東京で数珠その他のお守りグッズなどを授与して金品を稼いでいた中国人の偽托鉢僧が逮捕されたというニュースが報道されたので、何度も似たようなことを今までも書いて来たのだが、改めて整理させて頂くことにした。
 
そもそもお坊さんを指す比丘(ビク)という言葉は本来「乞う者」という意味であり、これが漢訳されて乞食(こつじき)となり、またそれが乞食(こじき)という言葉の基にもなった。
 
インドには今も乞食のカーストがあるが、日本の乞食も江戸時代には徳川の封建体制によって組織化されていた。江戸時代から明治にかけても偽托鉢僧は少なくなかったことが、桂米朝師の落語などからも伺える。乞食坊主、願人坊主などという名でしばしば登場するが、特に「悟り坊主」という小咄は四天王寺周辺の乞食坊主が主人公。また、「米朝ばなし」にあらすじが紹介されている「蛸坊主」という噺は、高野山の僧を騙る偽坊主たちが主人公で、桂文我師の「続・復活珍品上方落語選集」でその全体を読むことができる。
 
1970年代ぐらいまでは日本の町中にも乞食がいたし、子供でも「ルンペン」という言葉や「右や左の旦那さま」というフレーズを知っていた。その後、「乞食」という言葉は放送コード的に問題がある、という認識が広まったが、1990年代頃には不況のあおりでまた乞食行為をする人が増え始め、自分がリストラされた経緯を掲げたり、自分ではなくて連れている犬のために恵んでくれといった、理屈っぽい乞食もよく見かけた。
 
1997年当時、ベトナムのホーチミンでは、偽托鉢僧の横行に手を焼いて、仏教会が市内での托鉢を禁止した。
 
また、托鉢僧関係のニュースではないが、バンコクの乞食はほとんどがカンボジア人で、中には犯罪組織に抱えられている者もおり、APECを前に一斉退去させるという記事が、2003年9月25日の朝日新聞に載っていた。
 
日本における偽托鉢僧は、個人、組織を問わず、昭和から平成に掛けても多く目にするが、2015、6年頃からは、外国人の偽托鉢僧が主に東京方面を中心に増えているという日本のニュースを、頻繁に見かけるようになった。
 
乞食行為は日本の軽犯罪法に触れるため、仏教諸宗の各本山は托鉢許可証を出している。乞食(こじき)行為をしても良いという法的なお墨付きではなく、あくまで修行としての乞食(こつじき)であることを、本山が一筆書いてくれた証明書に過ぎないから、本物の托鉢僧の中にはこれを持たないという人や、持っていたけれど期限が切れたなどという人も結構多い。要は自分がなぜ修行のために托鉢しなければならないかを、はっきりと各修行者が弁えていれば、許可証の有る無しはそれほど重要ではないと考える人もいる訳だ。
 
しかし、許可証を持たない本物の托鉢僧が存在するとなると、一般の方が偽托鉢僧を見分けることが一層難しくなるという弊害は確かにある。但し、我々同業者から見れば、日本人であれ、外国人であれ、その托鉢僧が本物か偽者かを見分けることはさほど難しくない。
 
今回、この件について調べていたら、アジアで偽托鉢をしたかったらこのお経を知っていれば大丈夫だ、などと得意げに現地語のお経の文句をインタ-ネットに書いている人たちがいたのだが、実はタイなどで偽托鉢、偽坊主をすることは宗教上の問題以外に、国家における法律上も犯罪である上に、その書いておられるお経を托鉢時に使用することは、実は決して適切ではなかったりで、誠に笑止千万だ。
 
インドの各仏跡周辺では、昔から乞食の集団やサドゥーの風体をした乞食に混じってインド人比丘の物乞いが多い。日本では現代インドの仏教についての政治的、社会的なレポートが多いが、彼らの修行実態についてはあまり触れられていない。一部とは言え、正式に戒律を受けて得度したかどうかも怪しいようなお坊さんもいて、各仏跡地にたむろしていたりする。
 
偽坊主と言えば、古い時代に東南アジアでテーラワーダの僧侶姿に身をやつして活動を行ったのが、「シャム・ラオス・安南 三国探検実記」の岩本千綱と「潜行三千里」の辻政信だ。辻の「潜行三千里」が最近、新書版で読みやすく復刊されたので、このことについても書きたかったのだが、いくらでも長くなるので今日はこの辺で。
 
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                           おしまい。
 
 
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