アジアの通信事情あれこれ | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

・最初はタイトルを「アジアの通信事情」とだけにしていたのだが、別に最新の国際情報をお知らせする訳でもなし、ただ相も変らぬ古い思い出話を箇条書きに綴ってみたいだけなので、敢えて「あれこれ」を付け足すことにした。

・さて、何ゆえ通信のことを書こうとしたかと言うと、ちょっと海外の郵便局で局留めを使いたいことがあって、局留めを意味する「poste restante」というのはフランス語だな、そう言えば「by air mail」を意味する「par avion」もフランス語だ、きっと郵便システムというのはフランス発生なのだろうと思って調べてみたからなのだが、あに図らんや、事はそれほど単純ではなかった。

・まあ今時はインターネットの時代なので、わざわざ図書館で書物を開かずとも、郵便の歴史なるものはいくらでも調べられるけれど、とりあえず日本の郵便制度が範としたのもイギリスのシステムで、フランスではなかったし、また詳しいことは追々調べることにしたいと思う。

・団体旅行者向けの古いガイドブックなんかには、海外から手紙を出してみましょう、手紙をホテルのフロントに預けておけば、などと書いてあったりしたものだが、実際のところ、普通の旅行者が現地の郵便局と関わる機会は、あんまりないのではないかと思う。

・日本における個人旅行者向けガイドブックの嚆矢である「地球の歩き方」には、大概、「郵便と通信」みたいな一章があって、現地で日本からの郵便を局留めで受け取る方法を始めとして、例えばインドだったら小包を送る時のあの煩瑣な梱包手続き(仕立て屋が布で箱全体を縫製する)のことなども書いてあって、今読むとなかなかに面白い。

・私がタイやインドで修行させて頂いたのは、インターネットが普及し出す直前くらいだったから、今の旅行者や海外修行者の方に比べたら、遥かに郵便というものをよく利用したのではないかと思う。

・電話に関しても、今だったら海外と日本で通信するのなら、電話に限らず簡単で便利かつ迅速な方法がいくらでもあるが、当時は例えばタイだったら一般の固定電話事情、或いは公衆電話事情がよくなくて、日本に電話するのでも、郵便局のブースを借りたりしたものだ。

・インドの日本寺に来る郵便配達夫のことを、インド人スタッフたちが「mailman」ではなく、「postman」と呼んでいたのは、インドがイギリス統治領だったからなのかなあと思うのだが、タイのワット・パクナム寺院では、届いた郵便は寺務所の人がまとめて届けてくれたので、私は配達人と出会ったことがない。

・日本の知り合いやお坊さん仲間に海外の寺院生活を手紙で知らせて、その返事をもらうのを当時は楽しみにしていたものだから、私の場合、今の人たちが海外に居ながら、インターネットやスマートフォンでの通信に夢中になることを、必ずしもとやかく言えないかも知れない。

・私は通信方法については、一歩ずつ世間より遅れていて、携帯電話を持つのも、パソコンを使ったり、インターネットを見たりするのも、人より随分遅かったし、今でもスマートフォンを持っていないのだが、先日、ちょっと人のスマートフォンを試しに触らせて頂く機会があった。
そうしたら、別にスマートフォンに限らないのかも知れないのだが、文字を打つ時の変換候補がやたら親切だ。てにをはを始めとして、言葉の末尾部分に余分に接続詞的な文字が付いて来るので、文字を打つというのは面倒なものだから、ついつい候補に出たまま文章を選んでしまいがちになる。
例えば「どこへ行く」という文章を打ちたくて、「どこ」と入れると「どこに」と候補が出る。本当は「どこへ」と打ちたいのだけれど、面倒だから出たまま「どこに」を選んでしまう。
結果、自分が鉛筆で手書きする場合とは、最終的に微妙にニュアンスの違う文章が出来上がる。コンピューターやAIが作る文章というのは結局、このように無個性なものになるのではないか,そして機械に頼る人の文章はみな同じような仕上がりになるのではないかなどと、アナログ派の私は大げさなことを思ったりしたものだが、もちろんお坊さんたるもの、ちょっと世間とは外れている方がよろしいのではないかという、私の偏屈な心がこんなことを考えさせるのだけれども。

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                   おしまい。

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