古典文学の「今昔物語集」にはインド、中国、日本それぞれに関する説話が収められていて、その内の日本の説話群は、仏教に関する話と、そうでない話に大きく分類されている。日本の仏教説話は「本朝仏法部」、それ以外の日本の一般の物語は「本朝世俗部」と呼ばれ、「本朝世俗部」には、例えば芥川の「芋粥」や「鼻」の原話となった説話が含まれている。
で、最近に「今昔物語集 本朝世俗部」を読んでいたら、「世俗部」にも「仏法部」同様、意外とお坊さんが出てくる話がたくさんあることに気が付いた。そもそも芥川の「鼻」からしてがお坊さんの出て来る話である訳だが、さて、今回読み直していて、お坊さんのことを指すのに、「僧」と「法師」という2種類の言葉が、頻繁に出て来ることに気が付いた。
で、その使い方を見てみると、特に「僧」よりも「法師」の方が低く見られてる、といった感じでもない。あくまで私の感覚なのだが、現代日本語で言うなら、「僧」が「僧侶」、「法師」は「お坊さん」といった程度の違いで、「僧侶」と「お坊さん」の場合でもそうだが、使い方によって尊敬にも、その反対のニュアンスにもなるような感じだ。
ちなみに「今昔物語集」には「乞者の僧」という言葉が出て来るのだが、「今昔」からおよそ100年後の「平家物語」には「乞食法師」という文字が見えるから、みすぼらしかったり、身分が低いお坊さんのどちらにでも、「僧」と「法師」の両方が使えることが分かる。
ところで、「今昔」にはお坊さんへの呼びかけとして「御坊」「御房」という言葉が頻繁に出て来るのだが、今では時代劇でしか聞かないようなこの言葉、これがいつから「お坊さん」に取って代わられたのだろうか。
「今昔」「平家」から後、ぐっと下がって江戸時代でも近松、西鶴、馬琴、十遍舎一九、式亭三馬といった文学の中でも、「御坊」や「ご出家」などが使われていそうだが、確かめていない。或いはもう少し明治以降の言葉の感覚に近くなるのだろうか?
「今昔」や「平家」の中から、お坊さんを指す言葉だけを改めて抜き出すだけでも大変なのに、江戸時代の作品まであれこれチェックするとなると、本当に大仕事だけれど、ああ、でも知りたいし、調べたい。
先ずは目下のところ、手元にあるだけの古典文学の文庫本を、目の前に積み上げて思案している最中です。
おしまい。
「思はむ子を法師になしたらむこそ、心ぐるしけれ」
ー枕草子より
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