供養の秘密 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

気付いておられない方もあるかも知れないが、「供養」というのは仏教語だ。仏教語が日本語に入り、やがて仏教と関係のない状況で日常的に使われるようになった、ということは多々あるが、「供養」に関しては、言葉だけでなく、概念そのものが現代日本の日常生活で使う場合であっても、仏教の考えに基づくものだ。

「供養」は元々、仏教以前のインドの信仰に含まれていた言葉で、パーリ語、サンスクリット語、及び現代のヒンディー語では、すべて等しく「puja プージャ」と言い、今もヒンドゥー教徒の間では、単純に「儀礼」や「法要」「勤行」、「祭」や「祭儀」などを表す言葉として、日常的に頻繁に使われる用語だ。

元の信仰では「供儀」のようなニュアンスも含むが、どちらにしても「供養」という熟語に「供える」という漢字が含まれているのを見ても分かるように、何かをお供えする、というのが、本来のポイントではあった。

ごくごく簡単に言ってしまうと、仏教では「心」や「思い」を供えることが肝要だ。私は日本のお寺で、亡くなった方の追善供養の読経を頼まれた時でも、なるべくは誰が誰のためにどういう思いで供養したいのかを明確にするために、簡単な確認を施主に問診してから法要を始めるようにしている。

一々くどいようではあっても、そうした施主の心構えが整った時点で、供養というものは成立するのだと思う。そういう意味で、仏教における「供養」は、自分自身の良い行いによって生じた功徳を、他者のために回して向けるという「回向」の概念と、密接不可分なのだ。


ホームページ「アジアのお坊さん」本編も是非ご覧ください!!  

※お知らせ※
タイの高僧プッタタート比丘の著作の
三橋ヴィプラティッサ比丘による日本語訳CD、
アーナパーナサティ瞑想坐禅16ステップの詳細な解説書である「観息正念」、
並びに仏教の要諦の解説書「仏教人生読本」を入手ご希望の方は
タイ プッタタート比丘 「仏教人生読本」「観息正念」改訂CDーR版 頒布のお知らせをご参照下さい。