何度も書いていることなのですが、私はお坊さんが好きだからお坊さんになりましたので、いろんなお坊さんに会うのが楽しみです。世間には本当に、いろんなお坊さんがおられますが、さて、先日の話です。
大きなお寺の住職さんなんですが、あんまりお坊さんのご法務をなさるのが好きではないらしく、役僧さんを何人も抱えては、別の御用ばかりをしている方がおられます。
ところで、先日、私が雪駄(お坊さんの履く白鼻緒の草履)を新調せねばならず、一度、今まで履いたことのない材質のものを試してみようかと悩んでいたら、その住職さんが同じ材質の草履を履いておられました。
どんな履き具合ですか? 滑りやすくないですか? 滑りにくいと書いてあるんですが本当ですか? と聞いてみましたら、その住職さん曰く、めったにお坊さんの格好をしないから、あんまり履かないのでよく分かりませんとのこと。思いもかけない、想像もしなかった回答で、却って感服致しましたと、思わず答えてしまいましたが…。
まあ、それは余談で、さて、お坊さんの衣装や装束あれこれ全般を、業界用語で「衣体」(えたい)と言いますが、お坊さんというのは、一見、衣装代が掛かりそうなものですが、一度作ってしまった衣は当分使えますし、一般の方のように、着るものに心を煩わす必要もなく、案外、楽なものです。
テーラワーダ仏教では衣装代すら掛かりません。得度すれば三衣が与えられます。衣は旅先ではシーツにもなります。古くなったら、また寄進してもらえます。古い衣は雑巾にします。正に糞掃衣であった、袈裟の由来に、少しも違いません。
もともとお坊さんは裸足です。所と状況にも拠りますが、現在のテーラワーダ僧の托鉢も、裸足で行う所がたくさんあります。
彼らは普段、普通のビーチサンダルなどを履いていますが、それは裸足が原則であって、草履が便宜上のものに過ぎないからです。
今の日本のお坊さんの袈裟や衣は、そうしたブッダ時代から伝わる衣体とは多少、形を変えましたが、その意味合い自体は変わっていないと思います。
日本の他の伝統的な着物に比べて、ずっとひらひらしているその衣装は、やはり身体的特徴を覆い隠す変装であり、世間のしがらみから身を守る防具であり、心を調え、威儀を正すための矯正具なのだと、毎日、衣をひらひらさせて、衣の裾をどこかに引っ掛けそうになりながら、考えてみたりしています。
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