先日、あるお寺で散骨のことが話題になっていたのだが、私は散骨に関する議論を耳にする度に、「一休蜷川狂歌問答」に見える、こんな歌を思い出す。
・我が体 焼くな埋ずむな 野に撒いて 痩せたる犬の 腹を肥やせよ
昔、この歌を読んだ私はいたく感銘し、自分も、
・我が体 焼くな埋ずむな 野に撒くな 袋に入れて ゴミの日に出せ
などと詠んでみたものだが、今思えば墓地埋葬法に触れる内容だから、この歌では駄目だ。
昨今の散骨議論は、節度を持って散骨を行うかどうかが、法に触れるか否かの境目になるとも言われているが、それももちろんの事ながら、もし散骨をするならば、情緒や感情だけではなく、堅い宗教的(あるいは無宗教的)信念の下に行ってほしいものだ。
「一休蜷川狂歌問答」では、まず蜷川新衛門の、
・焼けば灰 埋ずめば土と なるものを 何か残りて 罪となるらん
という歌があって、次に光明皇后作(ここでは光明皇后作とされているが、実は伝承によっていろんな作者が付会されている)の、
・我が体 焼くな埋ずむな 野に撒いて 痩せたる犬の 腹を肥やせよ
という歌が並んでいる。そしてその歌のパロディとして、その後に、
・さつま芋 焼けよ埋ずめよ 灰の中 ひだるい時に 腹を肥やせよ
という一休さんの歌が続くのだが、さすがは一休さんだ。同じく「一休蜷川狂歌問答」に見える、
・世の中は 食うて稼いで 寝て起きて さてその後は 死ぬるばかりぞ
の歌と同様、一見ふざけているようで、本当に大事なことを伝えようとしている歌がこんなにたくさん詠めるのは、一休さんの固い宗教的信念があればこそだと思う。

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