坊主小咄…迷宮寺 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

長い長い巡礼の果てに、この迷宮寺にたどり着いた。何と私好みのこの構造。寺の内部は錯綜を極めていた。私だけのために用意された、私だけの寺。もはや私が、ここを出て行くことはないだろう。



私が生まれたのは大陸の果ての東の島国だった。この国は昔、神々を祀る神殿に満ちていたが、ある時、西の大国から、僧院と修道僧の信仰が入って来た。

その僧院は絢爛豪華、その教えは理路整然にして修道僧の暮らしは持戒堅固、かくて僧院の信仰は忽ちの内にこの島国を席巻した。

やがて修道僧たちは、この国固有の神々もまた、いにしえの聖修道僧の顕現であるという教義を生み出し、ここに僧院の宗教的権威は、島国全土に遍く行き渡った。

しかし、何百年かの後、神殿派による革命が起こり、僧院の権威は著しく失墜したが、それからまた百年もせぬ内に、西の大国が攻めて来て、神殿派は力を失った。

それからは、僧院の信仰も神殿の崇拝も、ごく平和裡に国民の間に共存し、その頃に生まれた私は神殿派の神学校で、司祭者の資格を得るべく学んだ。

しかしやはり、僧院の信仰をも合わせ学ばねば、人の心の成り立ちは分らないと思い、改めて修道僧となって修行した。そして、さらにさらに深い深い修行をと、僧院信仰の源である西の大国へも巡礼し、そこの精舎でまた、何年も学んだ。さらにさらにと思いは深く、長い長い巡礼を続けたその果てに、今やっと、この迷宮寺にたどり着いたのだ。



寺は錯綜を極めていた。けれど、もはや私にとって、その成り立ちは明らかだ。私だけのために用意された、私だけの寺。私自身によって組み立て直され、一切の事物の本質と等価となった私の心。長い長い巡礼の果てにたどり着いた、この迷宮寺。

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                                           おしまい。