駆け出しの頃に、葬儀の後で、喪主の奥さんに、「結構なお経を頂戴しまして」と言われ、それが冠婚葬祭の決まり文句だと知らず、「いえいえ、それほどでも」みたいな返事をしてしまったことがあるのだが、それはさて置き、日本では、「お経が上手い」「お経が下手だ」などという表現を、お寺の方も、一般の方も、よく口にする。
ブッダの時代にも、教えを暗誦によって伝えることはあり、ブッダの死後も、そうして仏法は伝えられて来たが、その暗誦の朗々さ具合、上手さ加減が求められていた訳ではない。どちらかと言えば、読経の上手下手を云々することは、仏教の本義に適ったことではないとも言える。
が、しかし、だ。確かにお経が上手くないお坊さんがいる。そしてそれが、単なる抑揚の癖などではなく、明らかに場数の少なさ、経験の少なさに基づく素人臭さなら、やはりその方は、もっと精進し、研鑽を積むべきだ。
例えば天台宗の場合なら、得度した後、本山での正式な教師資格取得の行を受け、なおかつその後、経歴行階と呼ばれるいくつかの行を経ていなければ、厳密には自坊以外での法要の導師、葬儀の導師などをする資格はないとされている。
こうしたことも、単なる杓子定規な経歴主義の取り決めなのではなくて、やはり僧侶というものの在りようは、きちんと一定の経験と蓄積を踏まえているべきだという意味なのではなかろうか。
だから読経の上手下手だけが僧侶の全てではない、という考え方自体は正しいけれど、その読経の上手下手具合に、僧侶としての修行や経験の蓄積が、全て反映されているということもまた、事実だと思う。
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