弥次喜多雑感 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

これは人に聞いた話。

旅番組で弥次さん喜多さんが泊まった宿というのが紹介されていたそうな。

その中で、宿の主人が、「ここは弥次さん喜多さんが泊まった宿です」と説明したのはいいとしよう。「(架空の物語である)一九の膝栗毛の中で、弥次さん喜多さんが泊まったとして描かれている宿です」という説明を、省略した言葉であるとも取れるからだ。

でも、その番組の中では、宿泊客の方が、「この部屋で弥次さん喜多さんが寝たんだと思うと感激です」みたいに仰っていたので、このお客さんは弥次喜多が架空の人物だと分かっておられるのだろうかと、テレビを見ていて不安になったというお話。

こういう例は他にもある。源氏物語ゆかりの地で、光源氏が何々をした場所、みたいな説明書きが立っている。源氏をフィクションだと分かって、ここがゆかりの地なのだなあと感慨に耽っているのなら良いのだが、うっかりすると立て札の説明が、さも実在の人物、実在の出来事について記しているかのような書き方になっていることも多く、意識の低い人に誤解を与えないかと懸念する。

さて、京都三条大橋のたもとには、小さな弥次喜多像が建っている。これを実在の人物だと思う人は少ないと思うが、如何なものだろう。

ところが、実在の人物でもなければ、神仏ではないから偶像ですらないこの像に対し、ここを通りかかった時、実を言うと、いつも私はそっと手を合わす。

東海道の起点であるこの橋のたもとに、旅人の代表としての弥次さんと喜多さんがいることが嬉しくてなのか、もっと大きく曖昧に、この像に象徴される先人の文化全般に対して敬意を表す気持ちなのか、とにかくこの小さな二人連れの像が、私は好きだ。


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