日本人が、今、「神」というものをイメージしろと言われたら、一神教的な存在を思い浮かべ、なおかつ画像としては、白い髭を生やしたお爺さんの姿を頭に描く人が多いのではなかろうか?
もともと大らかで多様な宗教文化の上に、明治時代以降に受け入れた西洋文明の思想、概念、用語が折衷して、日本人の神観念は甚だ錯綜しているが、例えば今でも、普通の日本人が困難に直面して、「神さま!」と心で救いを求めることは、あると思う。
この「神さま」という日本語、昔から使われている言葉なのだろうか? 江戸時代くらいの、わりと現代語に近くなっている文学の中で、「神さま」に相当する言葉がどんな風に使われているか、調べてみたいと思うが、例えば「お天道さま」「天地神明に誓って」などという言葉もあるように、「神さま」という言葉ばかりが使われていたのではないように思う。
また、古くは「神明佛陀の加護」などという用法もあるように、仏教徒にとって、神は仏法を守護する存在で、日本でも一部の宗派を除いて現在でもそう考えるし、ブッダ時代の経典も、現在のテーラワーダ仏教も、台湾などの日本以外の大乗仏教も、概ね同じ考えだ。だから仏法を心の基準として神の加護を祈ることは、仏教徒として間違いだとか、余分な信仰であるとは、必ずしも言えないと思う。
さて、お話変わって、昨年7月に、台風で遅延した飛行機で、台湾へ飛んだことがある。その夜、大雨を押して大甲の媽姐廟を参拝し、翌日、他の寺廟を訪ねる前に、昨夜の暴風雨の中、澎湖島へ飛んだ飛行機が墜落した事故のニュースを見た。在台中、ずっとこのニュースは、大きく報じられていた。
この度の同じ航空会社による台北の事故もまた、大変に痛ましくて、仏法と神々の加護を、心より祈るばかりだ。

是非ご覧ください!!
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