台湾などで、誰かに何かをメモ書きしてもらったら、さすがに漢字文化圏の国だ、我々よりずっと上手な字を書く人が多いが、インドやタイでヒンディー語やタイ語を書いてもらったら、私程度の読解力では到底、読めないようなくちゃくちゃした文字を書く人が多い。
元々、こうしたインド系文字は、くちゃくちゃした字体なのだから、走り書きにされたら、達筆なのか、下手くそなのか、或いは普通、大体、誰が書いてもそんなものなのか分からないくらいだが、日本人でこれらの言語を習った人が教科書どおりに書いている字の方が、よっぽど上手に見えたりする。
さて、タイのお寺で修行中、夏の安居(あんご)期間中は、一時出家の人たちや、或いはずっとお坊さんをしている人なのだが、この期間中だけ、よそのお寺で修行しようかという人たちで、普段よりお坊さんの数が増えたものだが、ある年にタイ東北地方のお坊さんたちがいっぱいやって来たことがある。
一時出家の人たちが、バンコク近郊の、ちょっと垢抜けた人が多かったのに比べ、東北地方のお坊さんたちは、もちろん一時出家の人たちと違って、元々、何年もお坊さんをしているという立ち居振る舞いの違いのせいもあるが、ずいぶんとタイプが違っていた。
修行し始めでタイ語が分からない私に、バンコクの人たちはニコニコと英語交じりで努力して意思の疎通を図ってくれるのだが、東北のお坊さんの一人などは、私のちょっとしたタイ語の発音を、執拗に訂正して下さった。私は今だに、その人に直された「ワット・アルン」(観光地としても有名な暁の寺)の正確な発音を、忘れられずにいる程だ。
そんな東北地方のお坊さんの中に、かなり年配の方がいて、年配だけれど背筋は伸びてしっかりと、そして優しそうなのに威厳があって口数の少ない方がいた。みんなと一緒に居ても、そんなに多く言葉を交わした覚えもないその方が、なぜか安居が済んで、自分のお寺に帰る時、一人で私の僧坊に来られ、君の名前を書いてくれと言う。
元気でしっかり頑張ってと仰って下さるその方に、カメラがあったら良かったんですがと名残惜しげに私が言うと、写真を送るからと言って、その後、本当に送って下さった写真の裏に書いてあったタイ文字が、まあ、達筆で達筆で、今でもその写真を大事に持っているのだが、その文字は、そのお坊さんの個人名の署名だったので、ここにお見せできないのが、とても残念だ。

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