江戸川乱歩と高木重朗 | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

「妖怪手品の時代」(横山泰子著・青弓社)と「江戸川乱歩作品論 一人二役の世界」(宮本和歌子著・和泉書院)という、2012年のほぼ同時期に、ジャンルの違う2人の女性学者が著した本の両方に、たまたま奇術研究家の高木重朗氏の名前が出てくる。そう言えば、高木氏の著作の中で、「江戸川乱歩先生が…」という文章を読んだ覚えがあるのだが、手元に資料がなくて分からない。
 
奇術研究家の方で、高木氏の名前を知らない人はいないと思うが、昔は一般の書店に並ぶ手品の本にも、高木氏の著作が多く、ジュニア向けの入門書もたくさん出ていたから、マニアというほどではない奇術好きの人にも、その名前はお馴染みだった。ちなみに高木氏は1991年に亡くなられている。
 
江戸川乱歩の奇術趣味については、「妖怪手品の時代」の第5章に、戦前戦後を一貫して、乱歩作品に奇術趣味が溢れていると書かれているが、確かに戦前から奇術については詳しかったであろう乱歩、たとえば大正15年の「踊る一寸法師」の中に、生首が物を言う舞台奇術のタネを説明して、「こんなものは珍しい手品ではなかった」などと表現していることでもそれは分かるが、けれどやはり、戦後に人が変わったように社交的になり、日本奇術連盟の初代会長・長谷川智氏らと交流を結んだことなどが、乱歩の奇術通ぶりに、さらに拍車を掛けたのではないかと、私は思う。
 
乱歩の長大な自伝「探偵小説四十年」の昭和20年代の記事には、長谷川智氏の名前や写真、高木重朗氏の写真が掲載されているし、戦後の小説「化人幻戯」「月と手袋」「影男」「ぺてん師と空気男」、少年ものの「虎の牙」「透明怪人」などに出てくる奇術に関する描写は、戦前のそれよりも詳しいのも、それを裏付けているように思う。
 
ついでながら、乱歩の戦後の交友関係の中には、正岡容(まさおかいるる)氏の名前も見えるが、正岡氏と言えば、桂米朝師の演芸学上の師匠だ。もしや若かりし頃の米朝師は乱歩と出会っている? 
 
戦後の乱歩は、探偵小説好きの人は必ず奇術、落語、パズルなどを好むものだということを頻りに言っているが、私が子どもの時に馴染んでいた乱歩、高木重朗氏、米朝師が、みんな繋がっていたのなら楽しいなと、「探偵小説四十年」の後半を読む時に、いつも思う。
 
 
 
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