うどんすきで有名な京都のお店が、ムスリムのためのハラール料理を始めたという話を人から聞いた。懐石や他の京料理に比べて、うどんすきならハラールにするのも、多少は難しくないのかもと、素人考えながら思った。
イスラム圏からの旅行者が増えて、日本の飲食店や食品関係の企業、宿泊施設などで、イスラム教の戒律に触れないハラール食品について理解しようとするところが増えていると、ニュースやテレビの特集などで、よく耳にするが、宗教上の理由などで食事に制限のある人が、外国で自分の食べれるものを探すのは、大変だろうと思う。
例えば台湾などでは、ごく普通に素食(精進料理)の店が、そこかしこにあるが、同じ仏教国とは言え、日本で菜食の店を探すのは至難の業だ。日本の精進料理店やベジタリアン・レストランというのは、基本的に一般の店に比べて高級である上に、店舗数も少ない。
明治以前の日本が舞台であろう上方落語の「蛸坊主」は、ニセの修行僧たちが、食べた料理のダシに鰹節が使われていたことを理由に店に因縁をつける話だが、こういう話があるということは、昔はお坊さんが菜食主義者であることが当然であり、誰にとっても自明だったことを伺わせる。
私も四国八十八カ所を僧形で行脚中、野宿以外に何回か宿に泊まった時に、食事の制限はありますかと、聞いてもらったことがある。
にも関わらず、その後、四国以外の土地を行脚中、ついつい山中のうどん屋さんで、肉の入ったメニューを頼んだら、不審そうな目で店のおばさんに、いいんですか、食べても? と聞かれたものだ。
こちらはタイでの修行を終えたばかりで張り切っての行脚中だったので、タイでは魚肉を食べます、その代わりに午後は食事を採りません、などと答えるのだが、店の人は、でもインドの人は牛を食べないんじゃないんですか? と食い下がってくる。
向こうが知りもしないで、タイの上座部仏教もインドのヒンドゥー教も一緒くたにしているという議論ではない、私が行脚僧の風体で非精進の食べ物を注文したのがいけないのだ。
格好だけ精進の振りをするくらいなら、堂々と自分が食べれるものを食べたらいいのだという意見もあるだろうけれど、やっぱり、対外的にであっても、お坊さんは立ち居振る舞いに気をつけなけれなばいけない。
たまにお金を出して物を食べるなら、おいしいものを食べたいという、さもしい根性で何気なく注文したのだったら、若気の至りとは言え、格好だけでも菜食主義者の振りをした蛸坊主以下だったなあと、今も時々、自戒しています…。
おしまい。
是非ご覧ください!!
※お知らせ※
※お知らせ※
タイの高僧プッタタート比丘の著作の
三橋ヴィプラティッサ比丘による日本語訳CD、
アーナパーナサティ瞑想の解説書「観息正念」、
アーナパーナサティ瞑想の解説書「観息正念」、