なかなかと、常日頃、仏教に思いをかけていても、いざ心を乱す出来事が起こったら、たちまちに修行は後ろを向いてしまう、ということでは困るので、なるべく反射的に仏教の言葉や偈文(げもん・定型詩型の仏教句。特に漢文のものを指す)を思い起こし、心をリセットするよう、努めている。
・「ダンマパダ 133」(岩波文庫 「真理のことば」 29頁)
荒々しいことばを言うな。言われた人々は汝に言い返すであろう。
怒りを含んだことば苦痛である。報復が汝の身に至るであろう。
・「懺悔文」
我昔諸造諸悪業
皆由無始貪瞋痴
従身口意之所生
一切我今皆懺悔
皆由無始貪瞋痴
従身口意之所生
一切我今皆懺悔
自分の身体と言葉と心から生じた欲と怒りと迷いが、自分の行いを作るのだから、全てを意識して懺悔すれば、大丈夫、まだ間に合う。
・「唯心偈」
三界唯一心 心外無別法
心佛及衆生 是三無差別
心佛及衆生 是三無差別
この偈文を唱える時は、いつも下記のダンマパダの第1句を思い浮かべている。
・「ダンマパダ 1」(岩波文庫 「真理のことば」 10頁)
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
・「無常偈」
諸行無常 是生滅法
生滅滅巳 寂滅巳楽
生滅滅巳 寂滅巳楽
すべてのものは移り変わり、生じては滅する。そして、その生滅の滅する所こそが、安楽だ。
・プッタタート比丘「仏教人生読本」(PDF版 34-35頁
…「愛着を滅した心」…が、最終目的である。愛着がなくなれば、心を束縛し、世俗の奴隷にされるようなことは一切なくなる。…執着を、不慣れでも、捨て去ることこそ、修行の鍵なのだ。
・プッタタート比丘「観息正念」(PDF版 6頁・サンティカーロー比丘による前書き)
…徹底すべきは、ただ、愛着を手放すことだけである。結論は、苦悩を消滅させることである。
さて、ベトナム人僧侶ティック・ナット・ハン師は、「禅への鍵」(春秋社)の中で、大乗仏教寺院のあちこちに、漢文の偈文が貼ってあったり、或いは貼ってはいなくても、何かの行動をする際、例えば法要前に半鐘を鳴らす時だとかに、暗記している偈文を唱えたりするのは何故かと言えば、その時々に、しっかりと気づきを保つためなのだと書いておられる。
日本のお寺でも同様で、ただ闇雲に偈文を口にしていても、それは単なる儀式に過ぎないが、しっかりと気づきを保って、もしくは保つきっかけとして、偈文を唱えるならば、心はそこでリセットされる。
或いは例え偈文でなくても、その時々にふさわしい仏教の言葉を思い起こすことによって、面倒なことが山積みな、この日常生活に立ち向かって行くことが出来るものならば!
…と思います。おしまい。
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