神仏への作法 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

中学生の時、生まれて初めて友達と一緒に、奇術大会を見に行った時のことだ。一般向けの催しではなく、百貨店の手品売り場で仲良くなったディーラーのお兄さんの紹介で見に行った、ある奇術クラブの大会だったので、こちらは初めて生で見る奇術の数々に酔いしれているのにも関わらず、大人の観客たちは口々に、何であそこであんなカードの出し方をするのかなあ、みたいなマニアックな会話ばかりしていて、私たちの恍惚に水を差してくれたものだ。

仏教の世界でも、ことに密教に関する話題となると、似たような会話が横行する。お坊さんから行者さん、在家の方たちも含めて、それぞれに一家言ある方が多く、あそこのお寺は密教的要素が少ないからどうだとか、神々に対する何々なら、そりゃあ、ご本地である何々天の○○法を修さないと、みたいな会話を、よく耳にしたりする。

てな訳で、先日、とある神仏習合的施設でのお勤めを頼まれた。私がお坊さんでありながら、大学で神道学を専攻し、神職の資格も持っていることをご存知の方からの依頼で、次第は私に任せるとのことだった。

お坊さんになりたての頃、ある老僧が、神祇に対してお勤めをする時は、(法華経の)神力品を上げれば良いと仰っているのを聞いて、「神」という字が付いているから神力品というだけならば安直だなあなどと、何も知らないくせに見当違いな感想を抱いたことを思い出したりした。

折角だから神力品を上げさせてもらおうかと思ったのだが、諸般の事情により、もう少し全体を短くまとめる必要があって、経段は別のお経にさせて頂いた。神職の資格があろうかなかろうが、僧侶たるもの、神々は仏法を守護する存在であると捉えて通常の作法でお勤めすべきだというのが、現在の私の考えなので、なるべくシンプルに仏法を表現した形の、神祇に対する次第を、短いながらのお勤めの中に盛り込んだ。

いろいろご意見があるかも知れないが、何はともあれ、今回の式次第を考える過程は、とても楽しかったので、こんな法務の依頼なら、いつ何時でも大歓迎。




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