アジアの草履 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

先週、暖かい時期に台湾に行ったので、町歩きは久々にゴム草履で過ごした。

最近のタイや台湾の若者は、そこらへんの下町を歩く時にも、ビーチサンダルではなく、靴を履いている人が多くなったが、まだまだ日本に比べれば、ビーチサンダルを履きながらであっても違和感なく出入りできる場所が、暖かい国には多い。

お坊さんの草履については以前も書いたので、今日はほんの随想なのだが、インドや東南アジアのお坊さんの足元は裸足かサンダル(インドではチャッパルと呼ぶ)、一方で中国系の仏教すなわち中国、台湾、韓国などのお坊さんは靴を履く。それなのに、なぜ中国系仏教である日本のお坊さんだけが雪駄を履くのだろうか?

お坊さんに限らず、江戸時代の日本の履き物は、基本的に靴ではなく、草履だった。もちろん、昔々の日本には大陸から靴が入って来た訳だが、どこかの時点で、草履や下駄が主流になった。奈良時代の役の行者ですら、既に足駄(あしだ)を履いている。

神職が履く浅沓(あさぐつ)や、お坊さんの草鞋(そうかい)は、昔に大陸から靴という履き物が輸入された名残りではあるが、日本は高温多湿だから、気候に合わせて一般の人も、お坊さんも、段々と草履状の履き物を履くようになったのだろうか? 

そして、中国にも暑い地域はたくさんあるし、台湾はもちろん熱帯なのだけれど、それらの地域で一般の方がビーチサンダルを履くようになっても、お坊さんは伝統的な僧侶の正式な衣体として、靴を履いているのだろう。

世界全体を見渡せば、古代のローマやギリシャでは、サンダル状の履き物が履かれたが、西洋ではやがて足の甲を覆う靴が履き物の主流になった。

熱帯地方では長らく裸足の時代が続き、近年に草履文化の日本で発明されたゴム草履が輸入されて、ビーチサンダルを履くことが主流になった。

先日、台南の西華堂という台湾式のお寺で見た男僧・尼僧の皆さんは、靴を履いておられたのだが、台南の駅前で見かけた、路線バスを待つ台湾人テーラワーダ僧の方は、やっぱりビーチサンダルを履いておられるのを見て、一瞬にそんなことを考えた。

                               
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※写真のカラチ国立博物館蔵「比丘跪像」(4~5世紀)は、裸足のお坊さんですが、ギリシャ彫刻の影響を受けた仏像にはサンダル履きのものが存在します。


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