アジアの仙人 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

良寛さんの生き方は一般の方にも、現代のお坊さんたちにも大人気のようだが、その良寛さんは、終生、「荘子」だけを持ち歩いていたのだという。

何度も書いたかも知れないが、私がタイのお寺で修行していた頃に、インドでチベット密教を修行して来たという真言宗のお坊さんが、日本への帰路、私の居たバンコクのお寺にお参りに来られたので、色々とお話をさせて頂いたことがある。

私が「荘子」が好きだという話をすると、その方は、はいはい、修行が進んでいない内は、「荘子」がいいと思っちゃうんですよねと仰ったので、あまりいい気がしなかったものだ。私の機は、まだその時、熟していなかった。

その後、インドのブッダガヤの日本寺に赴任したのだが、ある時、西洋人参禅者にお接待で扇子をプレゼントすることになった。そして、駐在僧それぞれが扇子の表に好きな字を揮毫しようということに決まったのだが、私はその時、まだ懲りずに、「神人」だとか、「天」などという文字を書いていた。仏教と老荘思想の整合性が、自分の中では取れているつもりだったのだ。

インドには今も、サドゥーと呼ばれる行者がたくさんいる。初めてサドゥーを目にした日本人の中には随分と衝撃を受け、彼らを現代の仙人などと呼ぶ人もいるし、或いはサドゥー修行をしながら、インドで何年も暮らしていた日本人の方と出会ったこともある。

けれど、私はどちらかと言えば、カシュヤパ仙やアガスティヤ仙、ヴァルミーキ仙といったインド神話における聖仙(リシ)のイメージに憧れていた。マハーバリプラムの岩山の彫刻群の中や、チェンナイの州立博物館に居る聖仙像は、現代のサドゥーたちに比べると、ずっと神々しい。

中国には列仙伝や神仙伝のような読み物がたくさんあるが、それらに登場する仙人たちは、皆、どこかぎこちなくて、心動かされるような存在ではなかった。また、お坊さんになる前の遍歴中、日本のとある小さな神社の老宮司さんが、本田親徳の神道霊学や宮地水位の神仙道の本などを貸して下さったことがあるのだが、平安時代に書かれた「本朝神仙伝」以来、日本で神仙と言えば、日本武尊に役行者に浦島太郎、うーん、違う、それは私のイメージではない、などと思っていた。

そんな時、「荘子」の「藐姑射の山に神人ありて居る、肌は冰雪のごとく、綽約たること処子のごとし」という有名な文章を読んで、これだと思った。それに「荘子」の説く無執着の境地は、なんだか仏教の教えに似ている気もするしと思って、以後は「荘子」を座右の書とすることにした。

結局、わざわざ空想的な理想像を描きながらの修行なんて、仏法の教えるところとは、程遠いということが、私にはなかなか分からなかったのだ。冒頭に述べた真言宗のお坊さんも、分かる分かる、自分もそんな思いを持っていた時期があるからよく分かるんだけれど、でもそれは仏教の修行とは別物だということが、段々と分かって来たんですよということを、ご自分の経験に照らして仰って下さっていたのだろう。

タイやインドでの修行中も含めて、どこへ行くにも持ち歩いていた岩波文庫の「荘子」を私が手放したのは、お坊さんになってから10年余り過ぎて後のことだ。随分、時間が掛かったものだが、それでもやっぱり、気づかないよりは、遅まきながらにでも気づいた方が、ずっといい。


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