如法の話 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 小僧修行の時、昼間は宗門の学校に通っている、自分より年若の先輩僧たちが、「如法に、如法に」ということを、頻りに言う。

 決められた通りに、教えの通りにきっちりと、というような意味だということは、何となく分かるのだけれど、今ひとつニュアンスが掴めない。多分、若い小僧さんがやたらと使うということは、宗門学校で、その言葉が頻繁に飛び交っているから伝染するのだろうと、その時、想像した。

 そして、天台宗の法儀集の坐禅作法の箇所に、「如法作法であるから足袋(厳しくは眼鏡に至るまで)は使用してはならない」とあるのを読んだり、インド以来の形式を踏襲した袈裟のことを「如法衣」と言うことなどから、段々と、その意味を類推した ものだ。

 ところで、「仏教語大辞典」(東京書籍)で「如法」を引くと、7つの項目があるのだが、その内、こうした意味合いに近いものを抜き出してみると、以下の通りだ。

1.正しい道理
2.法にかなったこと。仏の説いた教えどおりの。真正の。
5.禅門の規則や風儀にのっとったこと。
7.仏の教えのとおり修行すること。

 ちなみに、仏教辞書ではない「大辞林」などには、そうした意味と共に、そこから派生した別の用法として、

1.仏の教えの通りに。
2.柔和で温厚な様子。
3.(副詞的に)もちろん。もとより。

などが、挙げられている。

  この2、3辺りの言葉も、使い慣れていないとニ ュアンスが分かりにくいのだが、「大菩薩峠」に「如法闇夜の巻」という章があったり、時代がかったナレーションで「如法何々」というフレーズを聞くことがあるから、昔の人にとって、「如法」という言葉は、何となく馴染みのある言葉だったのかも知れないが。

 さて、日常生活の中で、仏の教えと自分の言動や暮らしぶりが乖離しないように気をつけなければと思い、一所懸命、努めていて、その結果、仏法に適った結果が生まれた時、気持ちがすっとするということが、時々、あるとする。

 そんな時に、仏法というものはさすがだと改めて思い、そこでお経を上げたり、「一心頂礼十方法界常住三宝」と唱えたりすると、さらにすとんと心が腑に落ち、すっとする。そんな時に、あ、これが「如法」ということだなと思う。
 
 
 
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