上方落語の「崇徳院」の中の、主人公の若旦那が恋わずらいの相手と出会う高津さん(高津宮)の絵馬堂の茶店、この場面は有名で、大阪の町歩きの紹介などに、現在、茶店はなくなりましたが、絵馬堂は今でも残っていますなどと説明されることも多く、ブログなどに書いておられる方もたくさんあるのだが、神社なのに「絵馬殿」ではなく、「絵馬堂」なのは何故だろうと、いつも思っていた。
寺なら本堂、神社なら本殿と言うように、「殿」という言葉は神社に関して使うことが多いが、明治時代の噺なので(神仏習合時代の)古い言葉が残っていたのか、或いは使用頻度の高い「絵馬堂」という言葉が何気なく使われているだけなのか。
と思って、高津宮のホームページを見てみたら、神社側からの、この建物の現在の公式な呼称も「絵馬堂」だった。確かに「堂」という言葉は大きな建物を表す言葉で、必ずしも「仏堂」を指すとは限らないし、実際に神社でも「絵馬殿」ではなく、「絵馬堂」という呼称を使っている所は多いようだ。
さらに言うと、一般の辞書でも仏教辞書でも、「絵馬堂」という言葉の方が主で、「絵馬殿」については、「絵馬堂のことを絵馬殿とも呼ぶ」といった、二次的な扱いがほとんどだ。
では「絵馬殿」という言葉は、近代になって神道から仏教色を排するために使用頻度が高くなったのか、明治以前から普通に使われていた言葉なのかというと、現時点では私には分からない。明治以前の文書や図面、参詣曼荼羅などに使われている言葉を丹念に調べれば良いのだろうけれど。
どちらにしても、現在、絵馬堂や絵馬殿は、絵馬を飾るだけでなく、休憩所としての役割も果たしていることが多く、そのことがわざわざ仏教辞典にも書いてある。だから、「高津さんの絵馬堂の茶店」というシチュエーションは、そのイメージをよく表している訳だ。
お寺では、仏さんが祀ってあって、休憩も出来る建物を「茶所」などと呼ぶ。タイのお寺のサラーも、本来は東屋や休憩所なのだが、講堂や本堂を兼ねていることが多い。茶所や絵馬堂やサラーといった施設は、いわゆる七堂伽藍の中には含まれていないけれど、現在の人々の信仰生活にとって、大きな役割を果たしていると言えるのではないだろうか。
※タイのサラーについては、「タイ現代カルチャー事典」(ゑゐ文社)50頁の「サーラー」にも詳しい説明がありますが、ホームページ「アジアのお坊さん」本編の「僧院と僧坊」も是非ご覧ください!!
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