アジアの箸と匙 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 物にもよるが、時々、ご飯をスプーンだけで食べることがある。子供じゃあるまいし、日本人なら、きちんと箸を使えと、お叱りを受けるかも知れないが、スプーンを手に持って、食前観の文を唱えている。
 
 中国や韓国では、今も箸と匙を一緒に使うが、確か聖徳太子の時代だったかに、日本には箸だけが伝わったのだと、聞いた気がする。
 
 タイでは、現在、スプーンとフォークで食事をするのが普通だが、麺類だけは箸で食べる。私がタイで修行中、タイ人よりも上手に箸を使えるので、一時出家の若いお坊さんたちに、好奇と賛嘆の目で見られたことを、今も懐かしく思い出す。
 
 タイ人がスプーン・フォークで食事をするようになったのは近年のことで、本来はインド同様、右手で食べていた。そこに西洋文化が伝播した時、なぜナイフ・フォークではなく、スプーン・フォークで食事するようになったかについては、前川健一氏の処女作「東南アジアの日常茶飯」(弘文堂)の中の「食事のしかた・スプーンとフォーク」という一節に詳しい。
 
 ちなみにインドでは、スプーン・フォーク、もしくはスプーンのみで食事をすることもあるが、圧倒的に手で食べるのが、今でも主流。
 
 西洋人を見ていると、普段はスプーンだけ、もしくはフォークだけを使用し、我々が箸を使う時と同様、気軽かつ器用に食事をしておられる。そんなあれこれを考えながら、スプーンを使って、ご飯を食べている。
 
 ちなみに禅宗の方は、応量器という入れ子状に収まった複数の器、及び付属の箸と匙で食事をする。応量器に箸だけでなく、匙が付いているのは、これが宋の時代に中国から伝わったからだ。
 
 先日、知り合いの禅僧の方に尋ねたら、今も応量器は手元に持っているけれど、僧堂での修行時以降、現在は普段に使うことはないとのことだったので、ええ、そうなん? もったいないなあ、私だったら毎日、使うのに、ちゃんとスプーンも付いているしと、秘かに思ったことではありました。
 
                                おしまい。
 
 
 
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