さて、お坊さんは音を立てずにご飯を食べるが、禅宗の方は、麺類を食べる時だけは、音を立てて良い。天台宗では、麺類も音を立てずに食べる、という話を人にすると、それではおいしくないでしょうと、大概、聞かれるので、おいしいまずいの執着から離れるための作法ですと、答えることにしている。
お坊さんだって、決して食というものを、ないがしろにしている訳ではなく、もちろん食に感謝して有り難く頂くことは大事なのだが、そのことを、食に対する執着を深めるための、言い訳にしてはてはいけないということだ。
中国や台湾などの精進料理には、動物性の食事を模した「もどき料理」がたくさんある。肉を型取った物を食べるということは、肉食への執着を脱していないのだろうかと思う方もあるかも知れないが、やっぱり生物にとって、食べるということは必須条件なのだから、食べたいと思うこと、おいしいと思うこと自体は自然な現象なのだ。そこからさらに肩肘張らずに、執着を離れる方向へとシフトチェンジするための手段が、もどき料理なのかなとも思う。
一方で、テーラワーダ(上座部)仏教では、供養された物なら肉や魚も食べるが、その代わり、正午以降、次の日の朝食までは食事を採らない。
このことの意味については、いろんな説があるし、私もタイで修行中に、この戒律が設けられた本来の理由は何なのだろうと考えたものだが、ちょうど先日、読ませて頂いた、日本人上座部僧、プラユキ・ナラテボー師の新刊「脳と瞑想」の中で、この戒律に関して、プラユキ師が、こんなことを仰っていた。
お腹が減って早くなにか食べたい、しかし戒律があるために食べないという選択を自主的にとることで忍耐力も受容力もついてきます。さらには、「あ、今、食欲が生じているな」と自分の心の動きにも客観的に気づく機会が与えられます。
何十年も、この戒律を守って暮らしておられる師のお言葉に、なるほどと思った。

※写真は台湾の獅頭山にある精進料理食堂
是非ご覧ください!!
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