憎まれっ子は、なぜ世に憚るのか? | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

 憎まれ者ほど、我が物顔でのさばっているという意味の「憎まれっ子世に憚る」という諺は、どちらかと言えば、憎まれ者ほど長生きする、という意味合いで使われることの方が多いように思う。
 
 この言葉、本気で使っている人が多い。あの人、あんなに悪い人なのに、なぜ罰が当らないんだろう、憎まれっ子、世に憚るって言うけれど、どうして悪いことをした人を、仏さまは、放っとかれるんですか? といった具合に。
 
 本当は憎まれっ子だけが長生きしている訳ではなくて、いい人だって長生きしている。ただ、こちらが早く死ねと思っているのに、なかなか死なないから、必要以上に憎まれっ子が長生きしているように感じるだけだ。
 
 いい人も悪い人も、みんな同じ程度に生きて、同じ程度に死ぬ。あなたも私も、心配しなくても、いつか死ぬ。
 
 ただ、いくらあなたが呪ったところで、そんなうまい具合に、憎まれっ子は、今日明日には死なない。ただそれだけのことだ。
 
 憎まれっ子が世にのさばるのも、憎まれっ子だけが、のうのうと順調なのではなくて、憎まれっ子の羽振りがいいのが腹立たしいから、みんなの目に付くだけだ。
 
 憎まれっ子のことなんて、気にしたら損。放っておいても、みんな、そこそこに生きて、そこそこに死ぬ。だから私たちは、自分のできる最善を、今、ここで。
 
                                   おしまい。 
 
 
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