それから、店の人にお礼を言うのに、「ありがとうございます」ではなく、「ありがとう」とだけ言う人もあるだろう。これも、ちょっと上から目線で礼を言っている場合と、或いはそうではなく、親近感を持っての「ありがとう」の場合とがあるだろうと思う。
私はお坊さんなので、相手が明らかに自分より若い場合でも、「ありがとうございます」と、最後まで言うように気をつけているのだが、ともすれば、「ありがとう」で止めてしまいそうになることもある。
どんな時かと言えば、相手が自分より明らかに若いのに偉そうな時なので、そこで「ございます」を抜きそうになるということは、私が相手の態度に腹を立てて、言い返してやれという心を起こした訳だから、駄目だ駄目だと思って、「ありがとうございます」と口にするようにしている。
もうかなり年配の男性が、私のような若僧に対して敬語を使って下さる場合、ああ、この方は偉いなあと思う。相手がお坊さんであっても、自分より若いと思うと上から口調で話して来る人なんて、世の中にはたくさんいるのだから、偉いなあと思う。
お坊さんは偉いんだから、お坊さんに対しては敬語を使えと言っている訳ではなくて、お坊さんであっても一般在家の方であっても、お寺であっても娑婆であっても、誰も誰かに対して偉くなんかないのだから、みんながみんな、お互いに頭を垂れて腰低く、丁寧に触れ合う社会であればいいのに。
確か赤毛のアンも、あの方だったら、私のことをちゃんと一人前の大人として扱ってくれるわ! みたいなセリフを、口にしていたような気がしますが…。
※ホームページ「アジアのお坊さん」本編も是非ご覧ください!!
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