ようやく涼しくなって、陽射しも少し和らいだが、日中は日のきつい時もあるので、まだ日傘を使っている。夏中、手にしていた日傘が手にないと、ちょっと淋しい。
日が短くなって、夜道が暗い時も、畳んだ傘を杖の代わりにして足許を探る。朝は朝で、傘をかざして蜘蛛の巣が顔に掛からないように、杖の代わりに傘をかざす。托鉢行脚時の錫杖のようなつもりで、毎日、傘を持っている。
G・K・チェスタトンが創造した名探偵ブラウン神父は、小柄で丸顔、よちよちと鈍くさそうで、常に古びた蝙蝠傘(こうもりがさ)を携帯しているのだが、その傘ですら、しばしばどこかに置き忘れる。
よく考えてみれば、ブラウン神父が傘を差したり、せめて杖代わりの用途に使用しているような描写すらほとんどなく、置き忘れては探すばかりだ。ということはつまりこの傘は、置き忘れるための傘なのだ。
奇術師が持つステッキを、マジック・ウォンドと言い、モーゼの昔から杖は魔術師を表す象徴的な持ち物で(今では少し胡散臭く見えるため、使用頻度が減っているものの)、現代でも奇術師に許された唯一のアクセサリーではあると、松田道弘氏は仰っている。
お坊さんの錫杖もまた、如意や払子のように、本来の用法よりも、威儀物すなわち象徴的な持ち物としての意味が強い訳なのだけれど、それらと同じでブラウン神父の蝙蝠傘は、ブラウン神父という存在を象徴的に表すための、シンボルなのだと私は思う。
おしまい。