遅ればせに「仏教瞑想論」のこと | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

 蓑輪顕量氏の「仏教瞑想論」(春秋社)が出版されたのは、今から5年前の2008年だから、その間にインターネット上でも、既に書評がたくさん出ている。
 
 瞑想畑の方々が、瞑想実修の立場からも、学術的な見地からも、例えば「有りそうで無かった本」というふうに、概ね好意的な評価をされているようだが、有りそうで無かったということは、逆に言うと、どこかで見たことがあるような、というニュアンスも含んでいる訳で、例えば昔、東京書籍から出ていた「禅の思想 インド源流から道元まで」(田上太秀著)なども、アーリア人侵入以前のインドの瞑想から、大乗仏教の禅に至るまでを俯瞰した名著ではあった。
 
 さて、その上で、「仏教瞑想論」はと言えば、著者が自身のヴィパッサナ瞑想体験なども基にして、初期仏教における瞑想を解き明かし、それらが大乗仏教における坐禅や観法や修行と、どう共通しているかを細かく検証し、現代のテーラワーダ仏教諸国や、台湾、韓国などの坐禅瞑想事情も紹介している点が、特徴であると言えるかも知れない。
 
 実は私は、この本が出た時に、本屋で立ち読みしただけで、今回、初めて通して読ませて頂いたのだが、なぜ急にちゃんと読もうと思い立ったかと言うと、最近、読み直した「挑戦する仏教」「アジアの仏教と神々」(共に法蔵館)という2冊の本に、蓑輪氏がいくつかの文章を寄せておられることに気づいたからだ。
 
 コラムも含めて、法会について、現代の台湾仏教事情について、仏教の食事観についてという三つの記事を書いておられるのだが、仏教の食事観の記事の中に、ミャンマーのマハシ瞑想道場の食事と、韓国のお寺の精進料理の写真を載せておられるの見て、私はそこに、勝手に自分と同じ臭いを感じたのだ。もしや、この方は、取材や研究のためにアジアを訪れ、面白そうだと思った瑣末な事柄について、楽しみながら資料を集めている方なのではないかと。
 
 そこでインターネットで検索すると、「アジア遊学132 東アジアを結ぶモノ・場」(勉誠出版)という本に、蓑輪氏が「麈尾と戒尺」という記事を書いておられるということなので、本屋さんで探してみた。
 
 麈尾(しゅび)とは、ハタキのような形の払子(ほっす)に似た法具、戒尺(かいしゃく)とは本来、禅宗で使われ、現在では日本の多くの宗派に取り入れられている、拍子木に似た法具だ。
 
 もしや、海外でいろんな仏具を採集して記事を書いておられるのかもと思って本屋で見てみたら、授戒に使うこの2つの法具についての文献資料を駆使した、蓑輪氏ご専門の戒律研究に関する記事だったので、有り難くその場で立ち読みだけさせて頂くことにした。
 
 ちなみに、この度、きっちりと手元に置いて読ませて頂いた「仏教瞑想論」ですが、とても面白い内容でした。
 
                                おしまい。
 
 
 
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