お坊さんが亡くなることを、敬って「遷化」(せんげ)と言う。厳密には、「高僧の死去について言う」などと辞書にはあるが、実際問題としては「高僧」ではなくても、お坊さんが亡くなられた時には、業界用語として、「遷化」を使うことが多い。
ところが、天台宗の宗内報の訃報欄を見ていたら、住職や副住職などが亡くなると「遷化」で、その他の僧侶については、「逝去」とある。僧階に関わらず、肩書きに住職と付く僧侶(他には、前住職、名誉住職など)以外は、全て「逝去」だ。あら、そうなの?
他宗派のお坊さんたちに尋ねる暇がなかったので、wikipedia情報で恐縮ながら、同じように、一部の僧侶の死去についてしか、「遷化」を使わない宗派もあるようだ。
ただし、これはあくまで公式な場合についてのことで、一般的な慣習として、全てのお坊さんの死去に際し、敬意を以って「遷化」と表現すること自体は、決して間違いないではないと思うけれど。
さて、その「遷化」の意味なのだが、手持ちの仏教辞書数冊の解説を総合すると、本来、中国語で人の死を指したこの言葉が仏教に取り入れられ、この国土での役割を終えた菩薩が、他の仏国土に遷って教化を続けるという意味で、仏教でも「遷化」と言うようになったと書いてあり、インターネット上の解説も、概ねこれらの辞書に準じた内容となっている。
あれ、そうなの? 私は「遷化」という言葉は道教から来ていると思っていた。尸解仙(しかいせん)と言って、肉体はそのまま死後も残り、通常通りの死を遂げたと見せかけて、実は脱皮のように昇仙して、仙人になるという考えがあるが、そうして亡くなった人を「遷化した」と表現するのだと思っていた。
それを高僧の死に当てはめて「遷化」と表現していたものが、後になって、他の仏国土に遷って云々という仏教的解釈が施されたと思っていたのだが、違うのだろうか?
私が思っていたように、「遷化」は道教から来ているのか、或いは、元々、中国の言葉としてあった「遷化」という言葉が、仏教と道教の両方に取り入れられたものなのか、それとも「遷化」が道教と関係があるというのは、私の全くの勘違いに過ぎないのか、申し訳ないけれど、今、手元にこれ以上の資料がなく、この件に関しては、もう少し掘り下げるまでの、本当の覚書ということで、またいずれ。
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