三枚のお札 続き | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 先日、三枚のお札のことを書きました。
 
 お札のおかげで、何とか命からがら、小僧さんがお寺までたどり着いたのに、和尚さんが、はいはい、今開けるから、まずはふんどし締めてから、などと言って、なかなか戸を開けてくれません。
 
 もしも間に合わなかったなら、どうなっていたのかと思ってしまいますが、絶対に間に合うと確信していたからこそ、和尚さんはあんなに悠々としていられたのです。
 
 経験のない者は、何事においても先が見えないから、不安がってあせりますが、余裕のある経験者からすれば、先に起こることも、現在の皆の心持ちも、手に取るように分かります。
 
 和尚さんには小僧さんの不安も山姥の来襲もすべてが想定内で、その山姥の来襲がいかなる形であっても、無事に事態を収束させる、完全な自信があったのでしょう。
 
 …という意味のことを、先日、書いたのですが、実際問題として、例えば経験のある者が、それを表現する場合、例えお坊さんであっても、ついつい居丈高な態度になりがちです。
 
 「しょうもない、何をやっとるんだ」とまでは言わなくても、「はいはい、キミ、もうええから、ええから」などと仰るお坊さんを、私は何人も見て来ました。
 
 「はいはい、まずはふんどししめてから」と、穏やかに言えるお坊さんに、なりたいものです。
 
                                  おしまい。
 
 
 
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