プージャの話 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 インドを旅していて、プージャ、もしくはプージャーという言葉を聞いたことのある人は多いかも知れない。最新版をチェックしていないので、今でもそのままかどうか分からないのだが、「地球の歩き方 インド」のバナーラス(ヴァラナシ)のページにも、「プージャーを見た」という、ガンガー(ガンジス河)におけるヒンドゥー教のプージャ(礼拝)について記したコラムが、長年、載っていた。
⇒その後、最新版「歩き方」をチェックしたら、「プージャーを見よう」とタイトルが変わっていましたが、同文のコラムがまだ載っていました(2013.6.15.追記)
 
 その場合の「プージャ」は、確かに「礼拝」もしくは「お勤め」といったニュアンスだが、例えば「ドゥルガー・プージャ」とか「ラクシュミ・プージャ」と言えば、「ドゥルガー祭」とか、「ラクシュミ女神の祭礼」といった意味合いだ。
 
 ちなみに、「先祖供養」を始めとして、現代日本でもごく普通の仏教語として定着している「供養」という言葉は、「プージャ」の漢訳であり、本来の意味としては漢字の通り、供える、供物を捧げるというところに眼目があった。
 
 インドの祭祀における、実際に供物を捧げると同時に、心での供養も観想するプージャの儀礼は、例えば日本の密教における「五供養」などと、全く同じ基盤の上に組み立てられている。
 
 インドにおける家庭の祭壇への日々のお勤めや、お寺や神木などへのお参りもまた、プージャと呼ばれるから、現代ヒンディー語としては、複雑な宗教儀礼だけでなく、普通にお参りやお祈りやお勤めを表す、ごく日常的な言葉でもある。
 
 仏教のお寺における勤行も、ヒンディー語ではプージャだ。昔、ブッダガヤの日本寺のヒンドゥー教徒のスタッフに、毎日プージャしてますか? と聞いたら、センセイたちと一緒に毎朝プージャしてますという答が返って来たことがあって、インド人にとっては、般若心経を上げるお寺の勤行であっても、ヒンドゥーの信仰と分け隔てのない、同じ比重のプージャなのだという感覚を、その時に理解した。
 
 さらに豆知識ながら、日本語では例えば「ウィサーカ祭」とか「万仏節」のように訳される、仏教に関するタイの祝日である「ワン・ウィサーカ・ブーチャー」や「ワン・マーカ・ブーチャー」などの「ブーチャー」という言葉は、英語では  veneratoin (崇拝)とか worship (信仰)などと訳されるが、実はこれは、外来語の濁音と半濁音が入れ替わるという法則に基づいた、「プージャ」のタイ語訛りだ。 
 
 という訳で、プージャ=供養という言葉と概念は、インドのみならず、東南アジア、中国、日本などの各国の仏教に、深く根付いているのだと言える。
 
 
 
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