オフレコ法話…アホの声は仏の声 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 このお話はオフレコでお願いします。
 
 娑婆でお過ごしの皆さま、さぞや気苦労も多かろうかとお察し致します。あなたの周りにはアホばっかりで、アホな人たちは、あなたの心を日夜、掻き乱していることでしょうね。
 
 何であいつにあんなことを言われなあかんねんとか、あいつの言うてる内容は正しいかも知らんけど、あいつにそれを言われたくないわとか、いろんな思いもよぎることでしょう。
 
 ではここで、あくまでも例え話としてですが、あなたにアホなことを言ってくる人たちの言葉を、仏さまの言葉だと思って聞きなおしてみてください。
 
 え? いやですか? あんなアホの言った言葉を、仏さまの言葉だなんて、到底思えないですか?
 
 どんな人の言葉にも聞くべき部分があるから素直に聞いてみたらと言ってる訳でもなければ、善人だろうが悪人だろうが、どんな人に対しても慈しみの心を持ちなさいと言っている訳でもありません。
 
 あの人のことを、仏さまだと思えと言っている訳でもなければ、仏さまがあのアホの口を借りて、我々に何かを仰っていると言っているのでもありません。あの人は、あなたの言うとおり、確かにアホです。それを否定している訳ではありません。
 
 あのアホの言葉が仏さまの言葉だと、ただ仮定するのです。アホではなく仏さまが仰っているのなら、何かしら聞くべきところがあるでしょう。自分に反省すべき点があるのなら、そこで気づきましょう。これはただの練習です。アホに何か言われるたびに、この練習を続けるのです。だんだんと、アホが何を言ってても、気にならなくなって来ます。
 
 この法話、仏教的に甚だ問題がある!! と仰る方があるかも知れませんが、娑婆に暮らす一般の方たちは、本当に大変なのです。
 
 一所懸命、仏教書を読んで、毎日、坐禅も慈悲の瞑想もしているのに、一歩、世間に出た途端、アホから一言、言葉を掛けられただけで全てが崩れ去り、こんなことじゃいかんのにと、思いは乱れて堂々巡り、それが娑婆で暮らす大多数の人たちの生活で、そこでつまづいて、正しい仏教的生活にたどり着けない人のために、まずはつまづかないで先のステップへと進めるように、アホの言葉を仏さまの言葉だと思うことにしたらどうでしょうと、ただ、お勧めしているだけなのです。
 
 そうだとしても、この話、お坊さんが人に語るには、いろんな問題を含んでいる、その問題点を、即座に何か条でも挙げてみせることができる!! と仰る方もあるはずです。
 
 だから、この話はオフレコなのです。どうか皆さん、くれぐれも他の方には、このお話、内緒にしておいて下さいね。
 
                             おしまい。
 
 
 
※お知らせ※
タイの高僧プッタタート比丘の著作の
三橋ヴィプラティッサ比丘による日本語訳CD、
アーナパーナサティ瞑想の解説書「観息正念」、
並びに仏教の要諦の解説書「仏教人生読本」を入手ご希望の方は、
タイ プッタタート比丘 「仏教人生読本」「観息正念」改訂CDーR版 頒布のお知らせをご参照下さい!!