名画「天地創造」は、強いて特撮を使わず、自然な風景を組み合わせてこの世の始まりを表現したらしい。その後、テレビで「新・天地創造」なる特撮を駆使した同じ旧約聖書創世記の映像化作品も見たが、やはり天地創造シーンに関しては、どうと言うほどでもなくて、結局、宇宙の始まりを映像で視覚化するに当っては、技術が追い付かないのではなく、人間の想像力の方が追い付かないのだなあと思ったものだ。
「初めに神は天と地を作られた。地は混沌として…」という創世記の冒頭、或いはギリシャ神話のウラノス(天)とカオス(混沌)に始まる創世神話などは、世界や地球の始まりに関する人類の何らかの記憶が基になっているのかと思うほどだが、そこへ行くとインドの創造神話は、もっとずっと奇怪だ。
乳海攪拌だとか、虚空に眠るヴィシュヌ神の臍に咲いた蓮の花から生まれたブラフマー神が世界を創造しただとか、人類が目撃した実際の記憶がベースになったとは、到底思えないイメージばかりだ。
それに比べて、日本神話の創世や国生みの描写は至って素朴だ。それに飽き足りない人たちが仏典に含まれた記述などを習合して、中世の神道論書などには、より複雑な神話が語られることになるのだが、どちらにしても本来の仏教にとって、この世の始まりについて考察することは、さして重要なことではない。
仏教では宇宙の始まりをどう説いているか、仏教にとって世界の始まりについて考察することが、いかに無意味か、といった問題については、そうしたキーワードでインターネットを検索すれば、たくさんの質問と回答が見つかることだろう。
興味のある方は検索してご覧になるのも一興だと思うが、あんまり積極的にはお勧めしたくない。何せその議論の先には、天地創造時の世界もかくやと思わんばかりの、果てしない混沌が広がっているから…。
おしまい。
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