妖怪手品の羨望 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

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 「妖怪手品の時代」(横山泰子・青弓社)という本が去年に出版されていて、既にブログなどで取り上げている方が何人もおられるのだが、私は最近、書店で目にするまで、まったく知らなかった。
 
 「妖怪手品」という言葉は、「幽霊出現などの怪奇現象を、種や仕掛けによって人為的に作り出す娯楽」を表す造語で、著者自身が暫定的な用語だと言う通り、テーマを表す肝心のこの言葉が今ひとつしっくり来ないのがちょっと気になるが、それはともかく、妖怪にも手品にも興味がある者からすれば、やはり楽しい本だ。
 
 著者は日本文学史における怪談などの研究家だそうだが、手品に関しても、平岩白風、石川雅章、岡田康彦といった著者たちの昔懐かしい手品本や、松田道弘、故・泡坂妻夫、藤山新太郎といった現代の著者たちの奇術読み物、ミルボーン・クリストファーなどによる外国の奇術文献などもまんべんなく参照しておられるから、なかなかに侮れない。
 
 最終章が江戸川乱歩作品における妖怪手品や乱歩作品における手品趣味という内容で、一見、江戸時代以降の文献に見える人為的妖怪という第1章からのテーマを逸脱した、著者の趣味なのかと思ったが、言われてみれば、確かに乱歩の通俗長編や少年物に頻出する、必然性のない奇術的現象の描写は、十分に「妖怪手品」というテーマに即しているのかも知れない。横山氏は触れておられないけれど、特に少年物の「透明怪人」などは、正に奇術の羅列だけで出来たようなストーリーだ。
 
 小松史生子氏の「乱歩と名古屋 地方都市モダニズムと探偵小説原風景 」にしても、宮本和歌子氏の「江戸川乱歩作品論 一人二役の世界」にしても、やっと探偵小説論が、真面目な文学研究として認められるようになって来たなどと、探偵小説好きの方たちは真顔でうそぶくけれど、ほんとは大学でこんな研究が出来るようになって、なんていい時代なんだろうと、みんな、内心で小躍りしているに違いない。
 
 揶揄でも皮肉でもなく、それぞれ立派な学術研究だと、100パーセント認めた上で言わせて頂くと、皆さん、好きなことを仕事で研究できて、羨ましいなあというのが、私の素直な感想だ。
 
著者は、日本以外の他の国で、人為的に妖怪を出現させるようなトリックや見世物があるかないかについての調査が不十分なので、読者からの報告を待つと述べておられます。
妖怪好き、アジア好き、手品好きの私としては甚だ残念ながら、著者が挙げておられる文献以外には、あまり思いつきません。
一つ思い出したのですが、乱歩の「ぺてん師と空気男」の元ネタになったA・スミスの「いたずらの天才」に、大きな騎士の化け物を現すいたずらが載っていたように思います。
手元にその本がないので細部が思い出せませんが、これを基にしたと思しき、新右衛門さんが妖怪武者に化ける、アニメの一休さんの一挿話があったのを覚えています。
余談ながら「いたずらの天才」は、当時、だいぶと流行ったらしく、子どもの頃、友だちの家のお父さんの本棚などでよく見かけましたし、ブッダガヤの日本寺の図書館にも、ずいぶん古びたこの本が置いてあったのを覚えています。
 
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