タイ語に堪能なプラユキ師と、アガサ・クリスティの話 | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

 またしても日本人上座部僧プラユキ・ナラテボー師のお名前をタイトルに掲げながら、今回は誠に他愛のないお話なので、ご容赦下さいませ。
 
 プラユキ師はタイ語に堪能です。自分に語学力がない場合、誰かが例えカタコトの外国語で会話をしていても、ペラペラに聞こえるものですが、プラユキ師のタイ語は本当に堪能です。
 
 比丘生活25年を迎えられる今は勿論のことながら、私がタイで修行させて頂いていた頃ですら、失礼ながら、もう既にとても堪能でいらっしゃいました。タイ語力のない私が聞いても、ペラペラなのはよく分かりました。
 
 自分が話すだけならともかく、相手の言葉を聞き取って、会話を続けるのは難しいもので、ましてやタイ人女性の早口で単語力の多いセリフなど、私などには到底聞き取れないのですが、プラユキ師はまくし立てる年配のメーチー(白衣の尼僧)の言葉なども当時からよく聞き取って、穏やかに言葉を返しておられたのを覚えています。
 
 旅行者やお坊さんの中にも自称タイ通、インド通で、タイ語、ヒンディー語が得意な日本人もたくさんおられますが、読み書きまで出来る人は少なく、読み書きが出来る人は、本当に勉強している方だなあと、私などは思いますが、プラユキ師は読み書きにも堪能でいらっしゃいます。
 
 ところで、お話変わって、3、4年前に、バンコクの本屋さんで仏教書を買った時に、書店員がレジでおまけにくれた広告入りのしおりに書いてあるタイ語が私には分からず、ずっと手許にそのしおりがしまってありました。
 
 写実的なネズミの絵が描いてあって、文字はほとんどがタイ語、ヒントになる英語はほんの一行だけで辞書を引いても意味が分からず、どうも児童文学かホラーのような気もするけれどと思っていたので、先日、プラユキ師とお会いした時に、これは何でしょうかとお尋ねしてみました。
 
 流暢な、タイ人のタイ語を聞くような懐かしい発音で、書かれたタイ語を読み上げて下さった上で日本語に訳して下さり、どうもこの内容だと推理小説みたいですねということに、話は落ち着きました。
 
 さて、その二日後くらいにプラユキ師とは何の関係もなく、私はアガサ・クリスティの「ゼロ時間へ」を何十年ぶりに読み返し、そのことをこのブログにも書かせて頂きました。それに関連して調べたいことが出来たので、これも中学生の時によく読んだ「アガサ・クリスティ読本」という本を図書館で借りてきて、何気なく著作一覧のページを見ていたら、偶然に「Hickory,dickory,dock」という文字が見えました。
 
 あれ、どこかで見たような? と思ったら、あのしおりに一行だけ記されていた英文でした。その英語は「ヒッコリー・ロードの殺人」(ハヤカワ文庫)という作品の原題で、この言葉はマザー・グースの童謡の一句なんだそうです。
 
 あらすじを読むと、学生寮で奇妙な盗難事件が相継ぎ云々、とあって、先日、プラユキ師が読み上げて下さった文章と、全く同じ内容でした。yahoo! thailand を始めとして、いろいろと検索してみたら、苦心の末に、出ました、出ました、しおりと同じネズミの絵が。
 
 しおりには「アガサ・クリスティ」を表すタイ文字が全くなかったので、ミステリをお読みにならないプラユキ師が、いくらタイ語に堪能でも、クリスティの作品だということに気づかれなかったのは、無理もありません。
 
 という訳で、プラユキ師、お陰さまで長年の疑問がすべて解消致しました。この場を借りて、厚く御礼申し上げます…。
 
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