みんなのお経 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 またしても米朝落語からの引用ですが、上方落語の東の旅、「伊勢参宮神乃賑」(いせさんぐうかみのにぎわい)の発端、お馴染みの煮売屋と七度狐の件りに差し掛かる前に、主人公の旅人、喜六・清八が、大勢で伊勢音頭を歌いながら通り過ぎる他の旅人のグループを見て、「昔からええこと言うたあるが、一人二人の良い声よりも、いかい連れ節おもしろい」と感想を述べる場面があります。


「昔からええこと言うたあるが、一人二人の良い声よりも、いかい連れ節おもしろい、てなこと言うてな…小便たんごでも百荷(ひゃっか)ということがあるやろ」
「なんやその小便たんごでも百荷というのは」
「小便たんごや肥えたんごのような汚いもんでも五十も百も並んでたら奇麗に見えるちゅうのや。どんな悪い声のやつでもあれぐらい(の人数)で歌うてたら上手に聞こえるねん」

…桂米朝コレクション 2 (ちくま文庫)より


 読経も同じで、どれだけいい声の導師が朗々とお経を上げても、大勢で一緒にお勤めする時の読経の声の荘厳さには、なかなか敵いません。

 ブッダガヤの日本寺に駐在中、たった一人でお勤めする機会があった時には、なるべくよく響く声明や、節もののお経を上げてみたものです。

 日本寺の大きな本堂自体がよく声の響く構造で、そこに差し込む熱帯の日差し、聞こえるものは鳥の声ばかり、その中で思う存分にお経を上げるのも、また大変に清々しい心持ちではありましたが、日本でも一人で読経することの多い今日この頃、一人の読経は気楽だなあと感じる反面、時たま大勢でお勤めする機会があると、みんなの声が合わさるこの感じは、何とも言えない快さだなあとも思います。


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