元はと言えばお坊さんになったのも、出家して山に籠もって、庵暮らしをしたいと思ったからだったのだが、インドのお寺に赴任した時にそれを言ったら、インドで「庵」=「kuti クティ」と言えば、本当の犬小屋みたいな小屋を指すんですよ、本気なんですかと、現地のちょっと学のあるインド人に呆れられたものだ。
写真はガヤ近郊のコレシュリという山に登った時に山頂で見たサドゥー(ヒンドゥー行者)の庵だが、本当にこの程度の小屋こそが私の理想だった。
さて、インドの仏跡巡拝に個人でやって来られる日本のお坊さんには同じようなタイプが多いのか、日本で庵暮らしをしていると仰るお坊さん方に何人も出会った。けれど、本気で庵暮らしをしようとしている私からすれば、どうやってそれで食べて行けるのかが、一番の関心事だったから、失礼を承知で皆さまに聞いてみた。
日本の隠者と言われる有名なお坊さんや世捨て人、或いは俳聖芭蕉にも、実は生活を支えるスポンサーがいたという説もあるが、いやあ、庵と言っても実は空き寺で、自分は図々しいから、この持ち前の性格で数少ない檀家を巻き込んでとか、この年になると年金もらってますから大丈夫なんですよとか、まあ、そんなお答えがほとんどだった。
今の私は、お坊さんが住む場所であれば、どんな住まいでもそこは庵だと本気で思う。以前にもホームページでそんなことを書いたら、それは負け惜しみにしか聞こえないよと仰った方もおられるのだが、でも本当に、身体ひとつで一所不住という暮らしの、何と楽なことか。
昔、芭蕉の庵の一つである伊賀の蓑虫庵を見て羨ましいなあと思った時に詠んだ川柳一句、
蓑虫の 身のほどに足る 庵かな
おしまい。
ご覧下さい。
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