合掌については何度も書かせて頂いた。南方上座部(テーラワーダ)仏教のお坊さんが、在家の人に対して合掌しないという話だとか、日本のお寺で常日頃、あらゆる場面で合掌することについての喜びだとか、合掌という作法の、そもそもの起源や意味だとか。
タイで修行し始めの頃、まだ上座部僧となるための得度式を終える前に、日本のお坊さん姿でお寺の外に出たら、近くの小さなお寺のお坊さんたちに珍しがられて、僧坊に招き入れられたことがある。
その時、飲み水を持って来てくれたデック・ワット(寺男)の少年に、私が合掌しようとしたら、周囲のお坊さんたちに慌てて止められた。
なるほど、こちらでは大乗仏教僧であっても、お坊さんが在家の人に対して合掌してはいけないんだなと、その時、刷り込まれた。
しばらくしてから、今度は私の止宿するワット・パクナムというお寺に、パクナム寺は日本仏教界と昔から縁が深いので、日本人の訪問が多いのだが、いかにもご老僧といった風格の日本のお坊さんが従者を連れて、インドへの仏跡巡礼の途次に立ち寄られたことがある。
会見の間で、日本人の老僧は寺から敬意を表されて、通常の参拝者のように床に坐るのではなく、椅子に坐らせてもらっていた。だから、まだ若かった私は、当然、初対面で他宗派の年配のお坊さまに対して失礼のないように合掌し、礼を尽くして挨拶しようとしたのだが、今度はものすごくたくさんのお坊さんたちや寺の職員たちが、一斉に悲鳴を上げんばかりの勢いで、私を取り囲んで制止した。はいはい、すいません。
その後、日本仏教僧として赴任したインドのブッダガヤには、テーラワーダ・大乗とり混ぜて、各国の寺院が平等に並んでいたのだが、テーラワーダのお坊さんが大乗仏教のお坊さんに対してどんな風に挨拶するのかなと思って何度か観察していると、仲良しだから愛想よく挨拶してはくれるけれど、こちらの合掌に対して、さりげなく片手を上げて応えていたりするだけの方も多かった。
だがその反面、何の屈託もなく合掌を返してくれるテーラワーダのお坊さんも、意外と少なくはなかった。融通の利くインド仏教僧のみならず、タイのお坊さんの中でも、とりわけ戒律遵守に厳しいタマユット派のタイ寺院のお坊さんたちでも、本当に気さくに合掌を返してくれたものだ。
だからテーラワーダのお坊さんが、大乗仏教のお坊さんに対して合掌しない、なぜならばテーラワーダのお坊さんは、大乗仏教のお坊さんのことを正式なお坊さんとは認めていないからだ、という説明は、必ずしも正しくないと私は思っている。
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