インドのサラダ | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 インドのブッダガヤはブッダが悟りを開いた場所だから、仏教における最高の聖地として、各国の仏教寺院が軒を連ねている。数ある仏教聖地すなわち仏跡の中でも、各国寺院の数は、ブッダガヤが一番多い。

 ブッダガヤのそれぞれの寺院で法要があると、互いに各国僧侶が招かれて、法要後には食事供養、いわゆるお斎(とき)が振る舞われるのだが、これを現地では僧伽(そうぎゃ)への施しという意味で、サンガダーナと呼んでいる。

 私がブッダガヤの日本寺に赴任して間もない頃、日本寺で法要があって、スタッフたちが僧侶供養のために、インド料理の食事を忙しく作ってくれていた。その中にマサラ味の生野菜があったので、これは何かと尋ねると、センセイ、これがインドのサラダです、とのこと。

 どう考えても大根やキュウリを塩とマサラで和えただけのものをサラダだなんて大袈裟なと、その時は思ったのだけれど、これは私が日本のマカロニサラダやポテトサラダみたいなものがサラダだと思っていて、生野菜を塩や調味料で食べるのがサラダの本来の姿だということを知らなかったための誤解だった。

 そう言えば小学校の家庭科の時間に、野菜サラダの作り方を習った時も、レタスに塩コショウと植物油を混ぜたものをかけただけで、フレンチドレッシングの野菜サラダだなんて大層なと思った時から、私の認識はあまり進歩していなかったことになる。

 今は塩とコショウとオリーブオイルさえあれば、後は野菜の種類や組み合わせを色々と工夫するだけで、ほとんど無限においしさのバリエーションが出来るサラダという料理は、実に素晴らしい料理だと思う。

 それで思い出したが、あの頃、日本寺では境内の畑でレタスを作っていた。インド人はレタスのサラダを食べないということで、これは日本人の巡礼団体用に、当時、植えていたものだったのだが、近くに住む重鎮のチベット人学者だけが、しょっちゅう勝手にやって来ては、レタスをむしって帰って行った。彼もサラダが大好きだったのかな?


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