法衣のクリーニングに思うこと | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

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 どこの馬の骨とも知らぬ私をお坊さんにしてくれた私の師匠は飾らぬ温厚な性格で、若くして先年、亡くなってしまったのだが、私が昔、法衣のクリーニングって、どうすればいいんでしょうかと尋ねると、そんなもん、自分のは化繊の安もんやから、洗濯機で回して洗ってるよと、優しく笑って仰った。ご家族のお話では、衣だか法衣鞄だかの黒色の剥げた所を、黒のマジックペンで塗って修繕しておられたこともあるそうな。

 とは言っても、通常の洋服と違って、複雑怪奇な襞(ひだ)の多いお坊さんの法衣は、例え自分で洗濯機で回しても、後のアイロン掛けが大変だ。法衣を扱ったことのない一般のクリーニング屋さんに頼んで、衣を駄目にしてしまったというのも、よく聞く話だし、京都には法衣専門のクリーニング屋さんもいくつかあるが、その他の地域では法衣の扱いに慣れたクリーニング屋さんを、探すこと自体が大変だ。

 写真は韓国の通度寺(トンドサ)境内で、クリーニング後の法衣を持ち運ぶ僧侶。あ、やっぱり、クリーニング屋に頼んでるんだと、珍しく思って撮影させて頂いた。

 一方で、上座部仏教の黄衣は、一枚に綴り合わされた大きな布で、大抵、暑い国で着るものだから、ジャブジャブと手で洗って、ロープに引っ掛けておくと、すぐに乾く。日本の一部の宗派では、袈裟は仏さまそのものの象徴として、頭の上に載せるような作法もあるのだけれど、テーラワーダ仏教のお坊さんは、古くなった衣を雑巾代わりにして、僧坊の床を掃除したりする。

 もちろん、南方上座部のお坊さんにとっても、法衣は三衣一鉢と言って、托鉢用の鉢と共に、僧侶が所有する最低限の持ち物であり、無執着の象徴でもあって、在家の人間が黄色い衣を着ることは厳に戒められているのだから、決して法衣が粗末にされている訳でも、神聖視されていない訳でもない。

 でも、タイでの行脚中には私も、旅の宿の寝床で、黄衣を畳んで掛け布団の代わりにしたりした、その自由気ままな感じが、とても好きだ。だから、日本で日本仏教のお坊さんの法衣を着ていても、これは本来、あの南方の衣が形を変えたものなのだから、丁寧に扱うべき仏法の象徴でありつつも、ボロギレを綴り合わせた、無執着のための糞掃衣(ふんぞうえ)なんだということを、師匠の笑顔と共に、今も折々に思い返す。


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