「人はなぜ騙されるのか」という言葉をネットで検索したら、同じようなタイトルの本がいくつも挙がって来た。新しい本、ちょっと前の本、結構昔の本など、たくさんあって、このテーマはみんなの好奇心をくすぐるんだなあと思った。
どうしてそんなことを調べようと思ったかと言うと、まあ差し障りがあるといけないので、あくまで例え話ということにしておくが、仮に町で親切そうな若者がお年寄りに声をかけているとする。
暗すぎず、チャラすぎない、優しそうで爽やかな青年、でも彼は、老人を集めていろんな物を無料であげるからと言って、最終的にもっと別の物を売りつける、あの商法の客引きだったとしよう。まさかポン引きが、そんないでたちで腰低く声を掛けて来るなんて、思いもしていない人ならば、きっとコロッと騙されてしまうことだろう。
エドガー・ポオの「純正科学の一として考察したる詐欺」には、工夫に富んだ詐欺の手口の何種類かと、それを考え出す詐欺師の心意気が紹介されている。オレオレ詐欺やら振り込め詐欺にしたところが、次々と新しい手口を考える悪者たちの企みにはほとほと感心するが、もちろんそれを賞賛すべきだと言っている訳ではない。
あれだけニュースや新聞で詐欺事件が報じられているのに、どうして騙される人が跡を絶たないのかと思う人も多いだろうが、詐欺師たちは多分、数打ちゃ当たる法式で、何度どやされても、失敗しても、くじけずに何百人に一人が騙されるの根気強く待つのだろうと思う。そうして騙された気の毒な被害者だけが、ニュースに取り上げられて、我々の眼に触れるのではなかろうか。
騙されるタイプの人たちは、よもや自分が騙されるかも知れないなんて、思いもしていない人たちだ。意外と気丈でしっかりした、世間のこともよくご存知なつもりの方たちが、面と向かって懇々と話されると、うさんくさい話を簡単に信じてしまったりするのを、私は何度も見てきた。
デリーの駅前には悪質な旅行会社や客引きが多いと、あれだけ「地球の歩き方 インド」に書いてあるのに、簡単に騙されてしまう人の、何と多いことか。私の知り合いですら、私が住んでいたブッダガヤに辿り着くまでに、何人もデリーで騙されて、挙句の果てに、騙されたと言っても、彼らのお陰で列車には無事、乗せてもらえた訳だしとか、まあそう思わなければ、居ても立ってもいられないほど腹立たしいのだろうけれど、やっぱり騙されやすい人というのは、よもや自分が騙されるなんて、思いもしていない人たちなんだろうと思う。
親切な風を装って、駅や空港で声を掛けるなんて古い手口だ。疑り深い方がいいとは一概に言わないが、基礎知識として騙しのいろんな手口を知っていても、損をすることは決してないと思う。
※お知らせ※