旅する時間とチベットの五鈷杵 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 歩き遍路で四国八十八ケ所を巡っていた時、それは結構、私がお坊さんになってから間もなくの、若い頃のことだったのだが、出会った人たちに、お若いのに偉いわねえと、よくほめて頂いた。

 けれど、こちらからすると、お坊さんが修行するのは当たり前だし、まして若いから体力はある訳で、例えばかなり年配のご夫婦が徒歩でお遍路されているのを見ると、これはもう、体力だけでは無理だ、信仰心がなければ歩けないだろうから、余程立派だと思ったものだ。

 もう一つ思ったことは、体力も信仰心も大事だけれど、通しの歩き遍路なんて、暇がないと出来ないということだ。1ヶ月、人によっては2ヶ月近い時間の余裕が必要な訳だから、遍路に出ようと思ったら、やっぱりそれなりの条件が整わないと無理だ。

 西洋人は長く勤めを留守にして旅に出ることのできる社会の中で暮らしているから、1年以上の長期旅行のバックパッカーもざらにいるが、そうではない社会に暮らしている日本人にとって、ひと月やふた月の海外旅行であったとしても、それが出来るのは、やっぱり大したことだ。例え、すれっからしのバックパッカーには初心者扱いされようとも、きっとその人にとっての1ヶ月の旅は、とても長く、そして貴重な経験だ。

 私事ながら、タイやインドのお寺で何年か暮らした後、日本に帰ってからは長い旅などなかなか出来なかったのに、3、4年前、1、2ヶ月の旅を立て続けに何回もできた頃があって、やっぱり今思うと、それは貴重な時間だった。

 知り合いのお坊さんに、若い頃からずっとインドに憧れて、いつかインドに行くための資金まで準備しておられるにも関わらず、まだ一度もインドに行ったことのない方がおられて、だから私はその時の、2ヶ月に渡る旅の終わり頃に立ち寄ったインドのダージリンで、チベット密教の法具であるドルジェ(五鈷杵)を求めて、天台密教にことさら重きを置くその方への、旅土産とさせて頂いた。

 そうしたら、日本に帰ってそれを渡した時に、その方までがバックパッカーのように、インドに呼ばれる人、呼ばれない人などと言い出して、まだインドに呼ばれていないから自分は行けないのだ、などと仰るのだが、その言葉の是非はともかくとして、まあ、何にしろ、少なくとも暇がなければ、旅には出られない。今、日本のお寺で壇に登ってお勤めをする時に、天台宗のお寺の本堂になら、大抵どこでも目の前に置いてある五鈷杵(ごこしょ)を見て、そんなことを思う。

 あの頃、私には暇があり、そしてそれは、とても幸せなことだった。


※バックパッカーのためのアジアお坊さん入門、
ホームページ「アジアのお坊さん」本編
もご覧ください!!

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