俗に、人の夢の話を聞くほどつまらないことはないと言うが、私は昔、自分の見る夢が面白くて面白くて、夢日記を付けて、いくつかの夢はクレヨンで絵に描いて、あまつさえ、それをインドにまで持って行って、ブッダガヤの日本寺に来た旅行者の方の内の何人かに見てもらったりしていたものだ。我ながら、何とはた迷惑な。
タイやインドのお寺で暮らしていた頃に見た夢は、バンコクの邪教結社と闘う特撮ヒーローの夢や、法華経にはインドを中心に全アジアから南太平洋の島々までのいろんな地名が登場するのだと説く書物の夢、インドの大河に住む怪魚に悩まされるヒンドゥー教徒の村人たちの、秘かなる観音信仰の夢などなど。
さて、私がお坊さんになってタイやインドのお寺で修行するよりも以前に、神道学を学んで神職の資格を取った大学での卒論が「神と夢」というタイトルで、霊験譚などにおける、神仏の出て来る夢を心理学的に研究することによって、神とは何なのかを突き詰めてみたいというのがテーマだった。
その論文は、口頭試問時の教授陣には至って受けが悪く、結局、あなたにとっての「神と夢」とは何なのかと聞かれたので、神の問題は人間を抜きにしては考えられないということですと答えたら、それがどうしたんだという顔をされた。けれど、私にとってその考えは、後にお坊さんになって縁起の理法に基づく仏法の下で修行するための、遠い萌芽ではあったと思う。
一方で、日本の伝説や昔話をユング心理学の定型に当てはめて解釈するような研究は大嫌いで、従って明恵上人の夢日記をユング心理学者が分析した書物も、私には全く納得が行かなかった。
明恵上人が正しく修行していたならば、夢にこだわることもまた、執着ではないか。私が自分の夢を記録していたのは、単純に自分の夢が忘れてしまうにはもったいないほど、自分にとって面白かったからというだけの理由に過ぎず、そして所詮それも、ただの自分のこだわりに過ぎない。
インドから帰国して、自分の見た夢に対する執着が少しずつ減るのと並行して、特徴のある夢を、何度も何度も見ることそのものが少なくなり、たまにアジアのお寺の夢などを見ても、記録したり覚えておこうなどとはとはしなくなった。
修行の成果で執着がなくなったなどとは言わない。けれど、夢を記録していた頃に比べて、今、幾分か、心は軽い。