カタコト語学のススメ | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 元国連事務次長の明石康氏が、国連では英語ネイティブでない国の方たちが、みんな自己流の英語で自信を持ってお互いにコミュニケイトしていたという話を何かに書いておられました。けれど、カタコトでもブロークンでも自信を持って英語を話せばいいのだろうとは思うのですが、日本人的な性格では、物怖じしてしまってついつい引っ込み思案になってしまいます。

 却ってタイ語やヒンディー語のような、英語以外の言語なら、カタコトでも平気で堂々と話せるのは、英語だったら下手くそだと格好悪いけれど、他の言語は僅かであっても話せたら、相手が喜んでくれるのではないかという、甘えた意識が自分のどこかにあるからかも知れません。

 いろんな国で、日本語をカタコトもしくはカタコト以上に話す外国人の方と接する機会が今までに多かったので、そうした方とのコミュニケーションは得意です。私がカタコト日本語の外国人と、自分も外国人であるかのような抑揚で、一字一句明確に発音して、分かりやすい文法の日本語で喋っているのを聞いて、どうしてそんな妙な話し方をするの? 相手は流暢ではないとは言え、日本語を理解しているのに、と仰る方もあるのですが、言葉というものが、意思疎通の道具であるのなら、より良く意思が伝わりあうように話す方が良いと、私は思います。

 カタコトの日本語にはこちらもカタコトで話すという私のささやかな持論、皆さまはいかが思われますでしょうか?




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