お坊さんは、お坊さんを演じている俳優ですか? | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 今回は、ごく他愛のないお話。

 バンコクのオールド・サヤームという古いショッピングセンターでは、黄衣のお坊さんたちが、いつも何かしら買い物をしている。プラ(プラ・クルアン、仏像型お守り)のお店ばかりではなく、携帯電話や時計を物色しておられることも多い。

 テスコ・ロータスやビッグCといった大型スーパーや、サヤームパラゴンやサヤームセンターのような派手な場所では余りお坊さんをお見かけしないから、ある程度、お坊さんが買い物をしていても違和感のない場所を、選んでいる訳だろうと思う。

 ただ、何にしても上座部仏教のお坊さんたちは定められた戒律の範囲内で暮らしており、都心部では多少、日常的な生活の場で行動するお坊さんの姿を見かける率が多いにしても、お坊さんたちが出家修行者の一線を越えることはないし、一般の在家者もそのことをよく理解して、お坊さんに接している。

 大乗仏教は上座部仏教よりも戒律が緩い、と信じている人が多いようだが、日本を除く大乗仏教国のお坊さんたちは、おおむね出家者としての戒律を守って暮らしているのが普通だ。たとえば韓国などでもお坊さんが一人で百貨店の食堂で食事をしていたり、アカスリ屋さんでくつろいでいたりすることもあるが、やっぱりお坊さんたちは出家修行者の一線を越えないし、一般の方もそれを理解していることは、タイの場合と変わらない。

 日本では反対に、関西でならまあ作務衣で電車に乗っていても本屋さんに行っていても、それほど誰も気にしないが、関西以外の地域で、お寺以外の場所でお坊さんの格好をして歩いていると、とても珍しがられることが多い。

 地域にもよるのだろうけれど、ある日本の地方都市で聞いたところでは、お坊さんは寺にいるか、自家用車や単車でお参りに行くものであって、町中ではあまり姿を見ない、見るとしたら私服を着ておられることが多いということだった。

 「奇術師とは奇術師の役を演じている俳優である」とは近代奇術の祖であるフランスの奇術師、ロベール・ウーダンの名言だけれど、お坊さんもいつ何時でもお坊さんを演じているべきだ、演じるというと言葉が悪いが、そうでもないのにお坊さんらしい振りをする、という意味ではなくて、らしくあるように気をつけていたら、自然に人柄は身に備わってくる、そのための法衣であり戒律であるのだと思う。

 何を長々と書いているのかと言うと、先日、法衣を着ている時に、袖にカメムシが付いているのを見つけて、下手に触るとカメムシはとてつもない臭いがするので、とっさに指で弾いたら、臭いもせず、虫も殺さず、上手に弾くことができた、その瞬間に私の口を突いた言葉が、「よっしゃ、おっけー!」、ちょうどそんな時に限って、辺りに誰もいないと思っていたら、目の前を人が通り過ぎた。

 いかん。これではいかん。お坊さんも人間だから、などと言う人もあるだろうけれど、やっぱりお坊さんはいつ何時でもお坊さんらしくしていなければ、と思った瞬間に、心に去来したあれこれを書き連ねてみたまでで…。 

                                 おしまい。



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