アヌモダナーの話…回向とお加持 | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

 日本人上座部僧の三橋ヴィプラティッサ比丘が、インドのブッダガヤ日本寺の駐在主任でいらっしゃった頃、気さくな個性と得意の仏教英語で、特に西洋人参禅者の人気を集めていたのだが、ある時、西洋人の若者が、師に blessing (祝福)を与えて下さいと申し出たことがある。

 

 三橋師は何やらパーリ語の短いお経を唱えておられたが、これはもちろん、上座部仏教で言うところのアヌモダナー anumodana の偈文だったのだろう。アヌモダナーを日本語に訳すと、やはり祝福とでも言うしかないが、blessing=祝福というのは本来、キリスト教の概念もしくは用語だから、誰かが積んだ徳に対して宗教者が祝福を与えることを、漢訳の仏教語で表現すれば、回向(えこう)ということになるだろうか。

 

 ただ、仏教の場合、布施をしたり、供養をしたり、自分がお参りや勤行や坐禅瞑想などの修行をして積んだ徳に対して、僧侶からアヌモダナー=回向のお経をあげてもらうのが普通で、突然、僧侶に対して blessing をお願いします、などというのは、やはりキリスト教社会に育った西洋人の発想かなと、その時は思った。

 

 でも考えてみれば、私も昔、四国八十八ヶ所行脚中、道中で出会った母娘連れに、病気がちなのでお加持を授けて下さいと言われたことがある。まだ経験も浅い若い頃で、どういった形でお加持をしたら良いのかを、その場で全身全霊を込めて考えたものだ。

 

 たとえば千日回峰行の阿闍梨さんや、信濃の善光寺の大勧進さんや大本願さんがお加持をして下さる、その「お加持」という感覚や言葉は、呪力や霊能力ではなく、仏法に即して功徳を回向しているという意味だから、アヌモダナー anumodana のニュアンスに近いと思う。

 

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 タイ語ではアヌモダナーが訛って、濁音の取れたアヌモタナーという言葉を使います。お坊さんが少額の物を買い物すると、お供養させて頂きますからお代は結構ですと言われたりすることがありますが、ちょっとしたタンブン=お供養をして頂いた時、短いお経を上げるのではなく、パーリ語、タイ語をないまぜに、「アヌモタナー・ドゥアイ」などとお坊さんが言い、在家のタイ人がそれを理解するほどに、アヌモタナーという言葉は、タイでは一般的です。