アジアの携帯電話…お坊さんは携帯を持つべきか? | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

 2012年2月4日の新聞によれば、インドで携帯電話の周波数帯割り当てに関する汚職事件があったとのこと、近年の、異常なまでのインドの携帯電話使用数増加状況を見れば、むべなるかなと思える事件だ。

 さてさて、お話はまたまた古いところに遡り、私がタイで修行中の1990年代半ば、バンコクでは携帯電話を持つ人が急増していた。日本ではまだそんなに携帯を見かけない頃だったのに、目端の利くタイプのお坊さんが持っていたり、法要中に裕福そうな信者たちが、これ見よがしに平気で着信を受けて話し出したりしていたものだ。

 固定電話の回線事情が大変悪いタイだからこそ、携帯電話の方が先に普及したのだと、事情通の方がよく話していたものだが、その後、私が1990年代の後半に赴任したインドでは、まだまだ携帯電話は普及していなかった。

 そして1999年2月23日の新聞によると、バンコク市民の70パーセントが、僧侶が携帯電話を使用することは、無執着・無一物を旨とする修行者にとって、ふさわしくないと考えているとのことだった。

 2000年代半ばになると、インドでも、みんなが携帯を持ち始めた。とは言っても、格差の厳しいインド社会のこと、持てない人はなかなか持てないのだが、それでも日本人相手におねだりをする時、日本製の物を何か下さい、ではなくて、モバイルが欲しいんですが買ってくれませんか? と、インド人におねだりされることが多くなったから、周りで携帯を持ち出した人々を、他のインド人たちが羨ましげに見ていたことが、よく分かる。

 2000年代も後半になると、インドの列車の中、爆音で鳴り響く着信音の後、上品そうなインド人のお爺さんが自慢げに携帯で話し出すといった光景も、もはや日常茶飯事となった。その頃、インドのラクノウで、町中がある1社の携帯電話会社の立て看板で埋め尽くされている、という光景を見たこともある。

 そして、2012年の今、冒頭に掲げたような汚職事件が起こり、インドの経済発展と相俟って、いろいろと考えさせられる今日この頃だ。あれから10年以上経った今、お坊さんが携帯電話を持つことを不自然に感じるタイ人は、果たしてどれくらいいるのだろうか?

 ところで、日本の芸能人や文化人で、携帯電話を持っていないということを自慢げに仰っている方がたまにいるけれど、たとえそれが自慢げに仰っているのだったとしても、私は無条件に羨ましいと思う。

 いつか携帯を手放したい。携帯を持たなくなった時、きっと今より更なる出世間が約束されるに違いない。手元にある旧式の携帯電話を見つめながら、私はいつもそんな風に夢想する。