かわいいうそでも、うそはうそ。 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 パズルの歴史を解説した本には必ず載っている古典的な論理パズルです。嘘しかつかない嘘つき族と、本当のことしか言わない正直族がいて、相手がどちらの部族だか分からない時に、たった1回だけ質問して、相手がどちらであるかを見分けるのには、何と質問すればいいでしょうか?

 答は例えば「あなたは嘘つき族ですか?」と聞いてみて、正直族なら「いいえ」と答える、嘘つき族なら「はい」と答える、といった仮定を始めとする、問題と回答のバリエーションが無数にあって、読んでいると頭が痛くなりそうです。

 さて、子どもの時から嘘をついてはいけないと教えられて私たちは育ちますが、なぜ嘘をついてはいけないかを明確に教えてくれた大人は一人もいなかったという話は、前にも書きました。

 だから世間では、この世にはついてもいい嘘もあるなどと仰る大人も出てくる訳で、相手を傷つけないための嘘、誰かを懲らしめるための嘘、他人を喜ばせるための嘘なんかは、「いい嘘」だからついてもいいと思っておられる方も多いでしょう。

 けれど仏教では、嘘をついてはいけないという戒律は基本中の基本で、五戒の内にも含まれておりまして、それはなぜかと言えば、どんな小さな嘘にしろ、誰かが嘘をつく時には、必ずその人の胸の内に、悪の心が芽生えるからです。

 嘘をつく時に心に生じる、相手を懲らしめてやれ、自分の方が相手よりも事態を正しく見極めているんだぞ、などといった様々な思いは、いつかはきっと、もっと大きな悪心へと育って行くことを、昔の人は「嘘つきは泥棒の始まり」と言ったのに違いありません。

 しかし最近、こうした嘘の他に、「かわいい嘘」というものもあると気づきました。大人なのに無邪気な人が、微笑みながらにこやかに言うちょっとした言い逃れ、誰が聞いても嘘だとわかる、仲のいい人たち同士の間での罪のない嘘。

 でも例えば、小さな子どもが無邪気な嘘をついて、それをかわいいと思っても、やっぱりそこで嘘の芽を摘んでおかないと、無邪気な子どもが悪人に、育たないとも限りません。

 かわいい嘘も、嘘は嘘です。