得度した直後、シンガポールで仏教、道教、ヒンドゥー教、イスラム教の各寺院に詣でて、圧倒的な印象を受けた。或いはタイガーバームガーデンで、中国の神話を紹介する大画面の映像や、西遊記の場面を再現したジオラマを見たり、書店で見つけたインド、中国、日本の神話をまとめて解説した英文の書籍を読んで、アジア各国の神話や伝説に比べて、日本のそれは何とスケールが小粒なのだろうと嘆息した。
その後、私は日本のお寺での修行を経て、タイで黄衣の上座部比丘として生活させて頂くことになった。タイのお寺の壁画には、インドの叙事詩「ラーマーヤナ」のタイ版である「ラーマキエン」にちなんだ絵が描かれている。小僧さんたちに聞いてみると、みんな「ハヌマン、ハヌマン」と嬉しそうに答えてくれる。
さらにその後、私はインドで修行させて頂き、「ラーマーヤナ」に登場する超猿ハヌマンが神として実際に祀られているのを何度も目にすることになる。ハヌマンに限らず、インド神話に由来する、奇妙不可思議な神々が、現実の信仰を伴って息づいていることも体感する。
旧約聖書やギリシャ神話も、地球や人類の歴史を彷彿させる大きなスケールに満ち、各エピソードは世界中の人口に膾炙している。エデンに暮らすアダムとイブ、ノアの箱舟、バベルの塔。或いはパンドラの箱にイカロスの翼、クノッソス宮殿の半神ミノタウロス。
それらに比しても素晴らしい、インドの「ラーマーヤナ」や中国の「西遊記」にも匹敵する物語が日本にあるかと考えた時、「平家物語」に思い当たった。
「平家」は軍記物の歴史文学であって、神話ではないではないかと言われる方もあるかも知れないが、若年者でも暗記している冒頭の文章を始めとする詩的な名文や、誰もが知っている綺羅星の如き登場人物たちと有名エピソードの数々。そして時折、挿し込まれる神話、伝説、霊験譚。
そして何よりも全編を貫く仏教思想。仏教の真髄とは程遠い単なる厭世観などと無知な学者は言うけれど、諸行無常の定理を歴史叙述に当てはめた展開は、終末の大原御幸まで息をも継がせない。
「平家物語」こそは、世界の神話に比しても引けを取らない、日本一の叙事詩だ。