アジアの一所不住…籠山すべきか、遍歴すべきか | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 今年、熱帯アジアの上座部仏教国では、7月半ばが安居(あんご)入りで、タイ語ではご承知のように安居入りをカオ・パンサーと言うのだが、虫の多い雨期に出歩いて虫を踏み、殺生をしないようにと、ブッダの時代に始まったこの習慣、要は雨期に出歩くのは大変だから定住するようになったというのが、本当のところなのだろうと思う。

 それまで、仏教の修行者は一所不住と言って、定住せず、遍歴するのを良しとした。雨期の定住が始まった後も、雨期の3ヶ月が明けるとまた遊行に出たのだが、環境に執着せず、遍歴するのも心を整えるのには良いことながら、隔離された一定の場所で、規則正しい生活を送ることもまた、心を整えるには適しているから、安居と行脚を繰り返した初期仏教教団の生活は、随分と理に適ったものだったのではなかろうか。

 さて、その後、大多数の僧侶にとってはお寺に定住することが一般的とになったが、これは現在の上座部仏教国でも同じことで、タイにもプラ・トゥドン(頭陀修行僧・行脚僧)という言葉があるものの、実際に行脚生活を送っている僧侶は、ごく少数だ。

 伝教大師最澄は、隔離された環境で修行することが大事だと考えて、比叡山の僧侶は12年間の籠山(ろうざん)を終えるまで、山を降りないことを定められた。

 娑婆に居ようが、会社勤めしてようが、どこに居たって志さえあれば修行は出来るはずだと世間の人はよく言うが、伝教大師は心を整えるにはまず環境が大事だという意味の、「おのずから 住めば持戒の この山は まことなるかな 依身(えしん)より依所(えしょ)」という歌を詠んでいる。

 お寺で規則正しく暮らしていると、心は自動的によく整う。けれどまた、そのルーティーンワークに狎れてしまって心が固着し、形式を守るばかりで心が乱れるようになったなら、その時は迷わず旅に出よう、遍歴に出よう。

 規則正しい生活で心を整えながらも、時にはその日常生活に執着せず、違う環境に身を置いてみるということに限って言えば、現代社会に暮らす我々でも、十分に可能なのだから、お坊さんであれ、一般の社会人であれ、我々も「籠山と遍歴の繰り返し」を、常に心がけていたいものだ。 


 ■お知らせ■
プッタッタート比丘の「観息正念」日本語訳 改訂CD版が完成致しました!!


プッタタート比丘「仏教人生読本」日本語訳 書籍版
プッタタート比丘「観息正念」日本語訳 書籍版
は、共に在庫切れで、再版の予定はありません。

「仏教人生読本」改訂CD版
「観息正念」改訂CD版
を入手ご希望の方は、それぞれに頒布手数料400円分の切手が必要です。
どちらか片方なら400円分、両方なら800円分の切手を同封の上、
希望されるCDタイトルを必ず明記して、
下記の住所宛てにお申し込み下さい。


〒603-8331
京都大将軍郵便局 局留

   「仏教人生読本」係
   「観息正念」係 


・発送までに2週間以上かかる場合がございますが、ご了承下さい。

・メール便にて発送させて頂きます。

・お申し込み・各種お問い合わせは上記宛先のみで受け付けます。
 三橋師ご本人宛へのお申し込み・お問い合わせは、
 師のリトリートの妨げとなりますので、
 絶対にお控え下さい。


 それでは仏縁・法縁ある皆様よりの、ご連絡をお待ち致しております。
                       
                                 合掌。