アジアの金銭欲…お坊さんは、お金を持っていても良いですか? | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

 テラワーダ仏教の戒律では、お坊さんが金銭に触れることを禁止しているのだが、現在のタイではお坊さんがお金を手にして、そこらへんで買い物をしているのは普通の光景だ。但し、戒律を厳格に守る改革少数派のタマユット派では、お坊さん自身が直接お金に触れないように、随行のデック・ワット(寺男、と言っても大抵は青少年)にお金を持たせて、支払いなどをさせている。

 石井米雄氏の「タイ仏教入門」(めこん)にも、戒律を杓子定規と言うか、文字通りに守る好例として、タマユット派のこの慣習を解説してあるのだが、「大乗仏教興起時代 インドの僧院生活」(春秋社)によれば、既に律が制定されて間もない頃の大昔から、比丘が金銭に触れることは禁止されていたが、比丘による金銭や私有財産の所有は禁止されていなかったそうだから、ブッダ在世当時も現在のタイと、状況はそれほど変わらなかった訳だ。

 そこで、だ。この、金銭に触れないために随行のデック・ワットにお金の扱いを任せるという慣習は、杓子定規の戒律遵守や、一般の人を欺く詭弁かと言うと、私は決してそうではないと思う。
 
 卑近な例で考えてみるに、例えば世間に暮らす我々は、日夜、お金のやり繰りをすることに、頭を痛めている訳だ。仮に収入が少なくても、一定額を一ケ月に使ってしまってやり繰りを考えなくても良いのだとしたら、それほど金銭の所有による苦しみは、多くはないに違いない。

 もしもお坊さんが自分の手でお金を触らずに、お金の計算も勘定もしなければ、例え金銭を所有していたとしても、きっと煩悩の量は激減するだろう。だから私は「お金に触れてはいけない」という条項を、建前ばかりで実態にそぐわない戒律だとは思わない。